齋藤なずな「78歳漫画家、多摩ニュータウンに暮らして40年。すっかり高齢者だらけになった団地の、実体験を元に描いた漫画『ぼっち死の館』で話題に」
◆《ヒモ様》の夫と60歳で結婚 かくいう私も「ぼっち」のひとり。約10年前にダンナを見送り、それからひとり暮らしです。 おひとり様になってさみしいかと言われると、まったく(笑)。ダンナが亡くなって、肩の荷が下りたというか──。というのも、私が58歳の時、ダンナが脳梗塞で倒れて半身不随になりました。 それから自宅で11年介護をしていたので、その間は漫画を描くどころではなかったんです。見送った時、これでやっとすべての時間が自分のものになると、晴れ晴れとした気分でしたね。 実は介護が始まるまで、ダンナとは婚姻届を出していませんでした。結婚というものにあまり興味がなかったし、必要性も感じなくて。 彼との出会いは、ずいぶん前のことになりますけれど、私が静岡から上京して短大を卒業したあと、英語学校で事務の仕事をしていた時でした。そこに経営側で携わっていた彼は、『文藝春秋』の記者もしていたから、ちょっと素敵に思えちゃったのよ。私もまだ素朴だったし。
絵を描くようになったのもこの頃です。英語学校で使う教材の絵を描いていた人が退職したのを機に、少し絵の描ける私が後任を頼まれて。 そのうちに出版社に勤めていた友人の紹介で、雑誌や単行本のイラストを描くようになりました。英語学校は辞め、イラストレーターとしてなんとか暮らしていけるようになったのです。 絵が鍛えられたのは『サンケイスポーツ』で漫画ルポを週に一度担当したからだと思います。当時は写真のほうが高価だから、記者と一緒に全国を飛び回って取材相手のイラストを描いていたんです。 なにせスポーツ紙ですから、いかがわしい場所にも行きました。女の人がふんどし姿で男性を接待するふんどしパブとか、SMショーにも行きましたよ。たぶん私は好奇心が旺盛なんでしょうね。そういった仕事も、けっこう面白がってしまう性格です。 気がつけば、こうしたイラストの仕事を始めて8年が経っていました。そんな時にダンナが病気を患い、それをきっかけに、ずるずると働かなくなってしまったんです。しかも、働かないのに外に女をつくる。もう、漫画の題材にもならないようなダメ人間で。(笑) よく、「結婚してないんだから別れればいいじゃない」と言われたのですが、どうして別れなかったのかと自分でも思います。「なんでこの人、こんなことできるんだろう」「へぇ~、不思議な人だなぁ」と目を見開いて観察しているうちに月日が経ってしまったんです。 話を戻すと、そんな《ヒモ様》に介護が必要になり、医療費を私がすべて払っているのに、夫婦じゃないからって医療費控除が受けられない! かなり頭にきたので、60歳の時に婚姻届を出しました。そんな夢のない結婚です。 (構成=篠藤ゆり、撮影=藤澤靖子)
齋藤なずな
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