62年前に廃線になった“幻の高原鉄道”が今も走っていたら…バスとの競争に負けた鉄道が持っていた「唯一無二の風情」とは
山の中に埋もれた痕跡がかろうじて...
草軽電鉄が辿ったルートは、山中ではほとんどが山の中に埋もれている。ところどころにはまだ橋脚などが残っているという。今回はそこまでは足を伸ばさなかったが、林道からさらに外れて山の中の獣道をかき分ければ、そうした痕跡にも出会うことができる。逆に、市街地では痕跡はほぼ消滅しているといっていい。何しろ、半世紀以上も前に消え失せているのだから、開発で市街地に埋もれるのも当然のことである。
もし今、草軽電鉄が存在したら
北軽井沢駅周辺を散策したあとは、草津温泉まで草軽交通の急行バスに乗った。観光タイプの大型バスで、ほぼ満員状態。補助席も残り5名ほどしか残っていない、という状況だった。外国人観光客が目立つが、日本人のグループも少しはいただろうか。バス停には、満員の場合は乗れないこと、最近乗客が増えていること、運転手不足から増便ができないことなどをまとめた注意書きが貼られている。 もしもいま、草軽電鉄が走っていたら。高原列車として、なかなかの人気を博していたに違いない。浅間山を望む高原列車、窓ガラスのないトロッコ列車などならば、高原の爽やかな風を浴びながらの旅になる。時間は多少かかっても、行き着く先は軽井沢か草津温泉なのだから、旅の行程にはピッタリだろう。草軽交通のバスが満員状態なのを見れば、需要があることは間違いない。 惜しむらくは、草軽電鉄がお客を減らして危機に陥った1950年代。その頃は、戦後復興の途上であり、同時に一気にクルマが普及した時代。観光列車、などという余興のような乗り物が受け入れられるようなご時世では、なかったことである。 写真=鼠入昌史
鼠入 昌史