その「生産的な習慣」、実は有害かも?
類義語辞典で「productivity(生産性)」を調べると、そこには「abundance(豊富)」や「potency(効能)」「richness(豊かさ)」「yield(収穫高)」といった類語が書かれています。 どれもポジティブな響きを持つ、それを手に入れたいと思わせる言葉。多くの人が生産性を高める方法を絶えず求めるものばかりです。 「私たちが生産性に固執する最大の理由の1つは、生産性が高いと感じられると、自分自身に満足できるからです」と語るのは『Toxic Productivity: Reclaim Your Time and Emotional Energy in a World That Always Demands More (有害な生産性:常に多くを求めてくる世界から、時間と心のエネルギーを取り戻そう)』の著者Israa Nasir氏です。 それは、とてもわかりやすい因果関係です。このようにすれば、自分自身に満足できる、と感じさせることができるのです。
「有害な生産性」を認識する
しかし、どんな良いこともそうであるように、生産性にも暗黒面があります。特に、生産性が仮想のハムスターホイールと化してしまうときがそうです。 Nasir氏は「生産性だけが大事になってしまうと、そのせいで人生のバランスが崩れてしまいます」と指摘します。 そうなると、あっというまに燃え尽き症候群に陥ります また、生産性でしか自分の価値を感じられなくなり、自分という意識が生産性に結びつきすぎてしまう場合も、生産性は不健康なものになる、とNasir氏は言います。 「それは自分を、いろいろな面を持つ、全体性のある人間として見られないときです」と、Nasir氏は説明します。 そういうときは自分を、自分が達成できる成果、というレンズをとおしてしか見られなくなっています。しかし、外的な達成とは、生活環境によって条件づけられるものです。自分に価値を感じられる物事のすべてを生産性というカゴに入れることは、感情的な危険をはらむのです。 生産性が害をもたらす3つ目のケースは、それが「その人の中心的な価値観と一致しないとき」です。 そのようなときには、生産性という目標が、自分の価値観ではなく、社会や家族の期待を反映したチェックリストになっています。 Nasir氏はこう言っています。 そこに時間と労力を注ぎ、やるべきことをすべてやっても、充実感や満足感は得られません。それは、本人がやりたいことと一致していないからです こうした「有害な生産性」をさらに悪化させる、よくある習慣は次の3つです。