ソニーの超レアメディア「MICROMV」を絶滅メディア博物館で触る
(前回「早すぎたソニー『個人の動画配信』を1997年に予測」から読む) 東京・大手町の「絶滅メディア博物館」館長、川井拓也さんに、ソニーのデジタルカメラ、カムコーダー、そしてパソコンについて伺っています。 【関連画像】なんでも出てくる絶滅メディア博物館。切手サイズのカセットはたまらなくフェティッシュ。撮影は編集Y 「絶滅メディア博物館」館長 川井拓也さん(以下、川井):うちならではの収蔵品ということで、元ソニー副会長の石塚茂樹さんが『ソニー デジカメ戦記』の最後で触れていた「MICROMV」の話をしてもいいですか? あれが、あるんですか? 川井:はい。どうぞ、カムコーダーの「DCR-IP55」です。 初めて見ました。同じテープを使う「ネットワークハンディカム」こと「DCR-IP7」の話は石塚さんの『ソニー デジカメ戦記』でも出てくるんですが、ほかにも出ていたんだ。 川井:4機種出たんですね。 本当だ。2001年に初代が出て、2002年、2003年。2003年で終わりか。 ●超レアなメディアとソニーの失敗 川井:今の目でこのテープを見ると、小さいには小さいですが、従来のminiDVに比べて画期的に小さいかというとそうでもない。石塚さんも当時を振り返って、「使い勝手も、実用性も、長期的な視点も中途半端」と厳しく語っていましたね。 石塚:自分が初期の仕込みに関わった責任上、自己批判しておくと、IP7は「こだわり・わりきり・おもいきり」の目利きがうまくいかず、売れませんでした。「パソコンを経由せずに、Bluetooth搭載の携帯電話などでネットに直接つながる」のがセールスポイントでしたが、使い勝手も実用性も中途半端で。 それは当時の通信環境を考えれば仕方がないのでは。 石塚:いや、環境が整わないなら機能や用途を割り切って違う魅力を訴えるべきでしょうし、本気でPersonal Broadcasterを実現したいなら、それこそ10年先を見据えたロードマップを描いて、中長期で仕込んで商品化すべきでしょう。IP7は新しいテープフォーマットやLSIまで起こして開発しながら、半端なところで出してしまった、大失敗に終わったチャレンジでした……という話を、うちの「VLOGCAM ZV‐1」が出たときに思い出して、社内ブログに書いたんですけどね。 Vlog(ブイログ、動画配信によるブログ)さんたちに人気のデジカメですね。VloggerはまさしくPersonal Broadcasterでしょうから、石塚さんの失敗は、しかし最終的にはビジネスとして結実した、というところでしょうか。 石塚:どうなんでしょうね。あ、ブイログって和製英語で、英語ネイティヴの人は「ヴログ」って言ってましたよ。 『ソニー デジカメ戦記』第11章「石塚さん、ソニーの青春を聞いてもいいですか?」より 本の中では、この独自フォーマットが世に出た経緯も語っていただきました。「何が当たるか分からない。できるだけいろいろやってみよう」という時代があったんですね。うまくいかなかったものもあるけれど、その中の一つがフロッピーに記録する「デジタルマビカ」になり、サイバーショット、そしてαシリーズまでつながっていく。 川井:そういう意味では悲運の機種ですが、このIP55のデザイン、自分は好きですね。8ミリフィルムカメラの時代のグリップに似ているというか。昔のカメラはこう、下にグリップが出るんですけど。 あったあった。 川井:ネオ8ミリフィルムカメラっぽいんですよね。ファインダーもあるし、液晶もあるし。こうやるとほら、昔の8ミリっぽいでしょう。 確かに8ミリっぽいですね。押し下げて動かすピアノキーもかっこいい。 川井:もう一つ、これはご存じですか。デジタル音声録音機の「DIGITAL MICRO RECORDER NT-1」。