【Q&A】大統領暗殺に大地震 「ハイチ」ってどんな国? 【図解】
中米・カリブ海の島国ハイチ。現職の大統領が暗殺され、暫定首相が非常事態宣言を出したり、大規模な地震が発生したりしたことで世界的に注目を集めました。国際的にも最貧国の1つとされる同国。そもそも、ハイチとはどこにあり、どのような特徴のある国なのでしょうか。国際協力機構(JICA)中南米部中米・カリブ課でハイチを担当する木崎恵理子さん、同課課長の坂口幸太さんに話を聞きました。
*** 【3つのポイント】 ・中南米で最初に植民地下から「独立」 ・一つの島に国境線が引かれ、ドミニカ共和国と共存 ・北南米で“最も貧しい国” ***
Q:そもそもどこにあるの?
米国の南東部に広がるカリブ海に浮かぶ島国です。周囲にはキューバ、ジャマイカ、プエルトリコなどの島国が並びます。 ハイチが近隣の国々と違うのは、キューバなどが「島=国家」なのに対し、ハイチはイスパニョーラ島という島の中に国境線が引かれ、ドミニカ共和国と共に存在している点です。ハイチが西側の約3分の1を、ドミニカ共和国が東側の約3分の2を占めています。 イスパニョーラ島の面積は北海道の面積とほぼ同じですが、そのうちハイチは約3分の1程度の約2.8万平方キロメートルを占めます。
Q:なんで島が2つの国に分かれているの?
冒険家のコロンブスは1492年、北米大陸とともにイスパニョーラ島にも到達しました。 その後、イスパニョーラ島は西側がフランス、東側がスペインの植民地となりました。それぞれが独立し、現在のハイチと、ドミニカ共和国に至るまでには、局面ごとに領土の奪い合いが起きました。一時的にハイチが島全体を支配した時代もありました。
Q:ハイチに先住民族はいたの?
はい、もともとイスパニョーラ島には先住民族タイノ族がおりました。しかし欧州から人々が入ってきたときに持ち込まれた疫病などにより、滅亡したとされています。いまでもタイノ族の末裔だと主張する人々はいますが、真偽は分かっていません。
Q:いつフランスから独立したの?
フランスは1697年にハイチを植民地化し、アフリカから多くの人々を奴隷として連れ込みました。現在でもハイチ国民の95%は黒人系です。 フランスで1789年、王制を打倒した革命が起きると、ハイチでも被支配層の間で独立への機運が高まります。そして、1804年に中南米地域で最も早く独立を果たしました。ただ、独立国として認められるため、フランスに多額の金銭を納めることを条件とされ、独立国としての船出は当初から厳しいものでした。 インフラ、教育制度などが整う前に独立したため、周辺諸国に比べて多くの困難を伴いました。隣国のドミニカ共和国では1930年代、独裁政権下で教育の底上げが図られ、近年では1人当たりのGDPがハイチの10倍に至ります。 ※ハイチは1915年~1934年の約20年間の米国統治時代に治安保持、保健衛生などの制度、インフラ整備などが一部整えられたものの、その後の第二次世界大戦や独裁政権の混乱期で再び衰退しました。