日本発だった「母子手帳」 死亡率低下に寄与、途上国で導入続々
妊婦の産前産後の経過や乳幼児の予防接種状況などを一括で管理する「母子健康手帳」(通称:母子手帳)。この母子手帳、世界で初めて導入したのが日本だということをご存じでしょうか? 現在、日本の妊産婦・乳幼児死亡率は世界トップクラスの低さで、母子手帳の導入や予防接種の広がりなどが大きく寄与したとみられています。国際協力機構(JICA)によると、1990年ごろ以降、途上国を中心に15か国が母子手帳を制度として本格導入、計50か国がなんらかの形で採用してきたといいます。
日本で母子手帳が使われ始めたのは1948(昭和23)年のことです。それまでは、戦時中の1942年に厚生省(当時)が発令した規定に基づき、妊産婦登録した女性に対して「妊産婦手帳」が交付され、物資の配給などを優先的に受けられるようにしていました。
乳幼児向けには「乳幼児体力手帳」(42~45年)が配布されていましたが、それぞれは別個のもので、母と子の記録を一冊にまとめた手帳ではありませんでした。
「育児書機能」と「記録機能」
戦後、日本では急速な経済発展に伴い、分娩施設の増加や予防接種法の制定など医療環境が整い出産前後の母子の健康が改善されていきました。JICAは、母子手帳単体での効果については「直接の因果関係の検証は困難」としながらも、以下の2つの機能が大きな役割を果たしていると説明します。 (1)育児書としての機能 (2)母子の健康状態を記録する機能 「育児書機能」によって親は妊娠中に気を付けるべき兆候、子どもの病気・成長、子どもの予防接種時期、など育児に関する正しい情報を得られます。そして、「記録機能」によって妊娠出産の経過or状況、子どもの発育、予防接種歴などを記録することで、医師にこれまでの健康情報を適切に提供できるようになったのです。
母国での普及に尽力したインドネシア人医師
長らく日本で使われてきた母子手帳ですが、その効果に目を付け、母国での普及に尽力した医師がいます。インドネシアの保健省職員で、1992年にJICAの研修員として日本に滞在したアンドリアンサ・アリフィンさんです。