果たされなかった「1月13日の再会」 中村哲さんの遺志継ぐJICA専門員
アフガニスタンで、現地の農民らとともに用水路を作る活動を続けてきたNGO「ペシャワール会」の中村哲さんが襲撃に遭い73歳で亡くなってから1か月余りが経ちました。中村さんと親交があり、今後のアフガニスタンの開発援助をともに考えていた国際協力機構(JICA)の水資源・防災分野の専門員・永田謙二さん(63)が最後に中村さんと会ったのは昨年11月のこと。別れ際、中村さんは普段と変わらぬ穏やかな口調で話したと言います。「お正月に帰国するから、1月13日にまた会いましょう」――。
突然の一報に「まさか」
昨年12月4日、永田さんは神奈川県内にある自宅2階の書斎で作業をし、1階では妻(63)がテレビを見ていました。 「昼頃だったでしょうか。1階の妻から、中村先生が襲撃にあったらしいと伝えられました。当初は『命に別条がない』と報じられており、私も『ボディガードが守ってくれたんだ』とほっとしていました。そして関係する人に『大変でしたけど、命に別条はないということで安心しました』とメールを書き始めていたんです。すると、です。今度は妻から、中村先生が死亡したらしいと知らされました」 永田さんは、急いでインターネット上のニュースに一通り目を通しましたが、出てくるのは死亡を知らせる情報ばかり。 「まさか、そんなことはないだろう」 「間違いじゃないのか」 しばらく呆然としていたと言います。どれくらいの時間が経ったのか。ペシャワール会事務局が、中村さんが亡くなったことを伝える様子がニュースで流れ、現実を受け止めざるを得なくなっていったのです。
「タリバンにも好かれていた」
「中村先生は『地域の人のために』という純粋な想いで動く人でしたし、誰よりもアフガンの人々が好きでした。ジャララバードという危険な地域に何年もいて。あんな活動をできる人は先生を除いていません」 永田さんは続けます。 「そんな活動をしながらも、日本に帰ってくると『必要なところに誰も行っていないから自分が行くだけなんだ』と言う。本当は危険な目にも遭ってきたはずなんですが、そんなことはおくびにも出さない。謙虚な人なのです」