「ギリギリになってから本気出す」人がハマりやすい“落とし穴” これが当たり前になると「おそろしい顛末」が待っている
本連載で度々説明してきたことだが、まず人間のメンタルを動かすためには「着火剤」となるきっかけが必要で、さらにそれを動かし続けるためには、エンジンにとっての「ガソリン」になるものを供給し続けることが必要だ。 時として人間は焦燥感や孤独感、憤怒など、負の感情や意識をガソリンにすることで、結果を出せてしまうことがある。 それは例えるなら、冒頭で説明したドーピングのようなものだ。いわば精神のドーピングである。
目の前の勝負に向けて、徹底的に自分を追い込み、負荷をかける。すると追い詰められたメンタルは必死に体と脳を動かし、無理をして結果を出そうとする。 そこで結果を残すと、それが癖になってしまう。これが何より厄介だ。 自分のメンタルや肉体を犠牲にして、毎度結果を残す。そんなことが持続できるはずがない。すぐに心も体も壊れてしまうだろう。 つまり、負のエネルギーを使うことは、瞬発的な効果は見込めるものの、長い目で見ると人間にとっての正しいガソリンではないのだ。
藤井氏の例えの後で恐縮だが、私自身にも負の感情をエネルギーに代えてしまった経験がある。 若かりし頃の私は、仕事や私生活で勝負事があれば、その日に向けて時間を、体力を、気持ちを割いて臨んでいた。 勝負の土俵に、今自分が捻り出せる、ありったけのものを持ち込もうとしていたのだ。 そうすることで確かに勝率は上がったが、そんなことを続けるうちに、身も心も疲弊してしまい、3年もせずに病床に伏すことになった。
当時の私は、ありったけのものを持ち込むことで、自分の実力のなさから逃げていた。 それは、土俵を目の前にして自分の力が足りないことを、誰よりも自分がよくわかっていたからだと思う。 藤井氏もきっとそれを理解しているのだ。毎回の勝負でありったけのものを持ち込むことでは、きっと単発でしか勝てない。八冠で居続けることには、持続性が大事であること、そしてそれが最も大変であること。それを彼は知っているのだろう。