総合楽器メーカーのヤマハが「自前主義」のこだわりを捨て、オープンイノベーションの深耕にかじを切った理由
1887年、創業者の山葉寅楠(やまは・とらくす)が、浜松の小学校でオルガンを修理したことをきっかけに、同年に自らオルガン製作を開始したことをルーツとするヤマハ。以来140年近い歴史を刻み、ピアノやギター、管楽器、電子楽器などを製造する世界的な総合楽器メーカーへと発展してきた。そのヤマハで2024 年4月、社長に就任したのが山浦敦氏だ。モノからコト、ハードからソフトへの波が楽器業界にも押し寄せる中、山浦氏はどんな構想でヤマハの変革を進めようとしているのか、話を聞いた。 【写真】伝説のライブを再現!(ヤマハの「Real Sound Viewing」技術を使って再現されたライブ「LUNA SEA Back in 鹿鳴館」) ■ 「多様化する音楽ニーズに応え、会社全体を強くしたい」 ──4月に社長に就任して半年余り、ヤマハの現状と今後の課題についてどう捉えていますか。 山浦敦氏(以下敬称略) 「YAMAHA MUSIC SCHOOL(ヤマハ音楽教室)」のような音楽普及活動と楽器や音響機器の販売の両立ての事業展開は、今後も変わることはありません。ただ、どの業界もそうだと思いますがニーズの多様化が一層進んでいます。われわれも多様化している音楽ニーズにきちんと寄り添った形で音楽普及をしていきたいと考えています。 今やハードウエア中心のビジネスだけではニーズに応え切れないものが多々出てきます。われわれのハードの強みはこれまで通り生かしつつ、そこに付随するサービスやコンテンツ、あるいはコミュニティー作りなども含めたソフトウエアを加味して、総合的に提供できる形にしていきたいというのが私の方針です。 ──ソフト面の強化に向けた施策のひとつが、今年4月に社長直轄の基幹部門とした、ミュージックコネクト推進部でしょうか。 山浦 はい。例えば音楽生活を豊かにするアプリケーションやサービスを提供する「ヤマハミュージックコネクト」について言えば、これまでは楽器事業の一部という位置付けで、いわば販促ツールとして展開してきましたが、それではなかなかうまくいかないという課題も見えていました。 そこで、専門的に独立した組織としてサービス分野に取り組んでもらうことにしたわけです。ハード部門とは一旦切り離し、サービス業界起点の考え方や時間軸の感覚で仕事をしてもらっています。 ヤマハミュージックコネクトの軸は3つあり、ラーニング、クリエイティブ、コミュニティーです。まず、練習・上達をサポートするラーニング。次に、より楽しく自由に表現してもらうクリエイティブ。最後がコミュニティーで、人と人とのつながりを、音楽を介して作っていく。この3点をしっかりとした形にしていく考えです。 ──そこを強力に推進するためには社長直轄でなければいけないと。 山浦 そうです。従来とは発想や着眼点を変えていかなければいけないので、ある部門の部門長が兼任でやっていては片手間で終わってしまう可能性がありますし、全社的な方向性として、ハードとソフトの融合を掲げた手前、私が陣頭指揮を執るべきだと考えました。 ──立ち上げてまだ半年余りですが、進捗状況はどうですか。