日本の性教育はなぜ遅れているのかーー高校生に「人間と性」を教えた元保健体育教員が語る、盛り上がりとバッシング #性のギモン
妻の体に何が起きているのか分からなかった
村瀬さんの歩みは、日本の性教育の歩みと重なる。1964年に東京教育大学(現筑波大学)を卒業し、私立和光高等学校(東京都町田市)の保健体育科の教員になった。 ――なぜ性教育に興味を持ったんですか。 「もともとは妻との関係です。世界一いい女、いい男だと思って結婚したのに、一緒に暮らしてみるとリアルな人間同士の問題が起きてくるわけですね。例えば、私は結婚するまで、月経についてほとんど何も知らなかった。妻も教員をしていたのですが、何かの行事に月経がぶつかったりすると、青ざめて帰ってくる日があるんです。しばらく横になったままだったり」 「今だったら、女性の体に何が起きているかわかりますよ。女性ホルモンの働きとかPMS(月経前症候群)とかね。でも当時は何も知らないから、『女ってめんどくさいもんだな』と。『ひょっとしたら仮病を使っているのではないか』と思ったこともありました。避妊についても、コンドームの付け方をちゃんと教わっていないから、付けるのに失敗したこともありました。妻もきちんと意見を言えるほど、主体的なセックス観を持っていなかった。セクシュアリティーの問題になるとお互いに引いてしまうんです。近付けないんですよ。これではいけない、なんとかしたいと思いました」 「あるとき妻に、無知とはいえ、あなたが腹が立つようなことを言ったり、したりしたことがあったと気付いたと、謝ったんです。そして、女性の性について勉強したいと思うから、分からないことがあったら教えてくれないかと頼んだんです」
村瀬さんは、生理学や女性の医学といった本を片っ端から読んでいった。妻に意見を求めたりもした。性について学ぶことがどんどんおもしろくなっていった。思い切って妻に「あなたも男の性について勉強してくれないか」と切り出した。妻は「私も無知だった」と、学ぶことを受け入れてくれた。 ――ご自身の問題として、性というテーマがあったんですね。 「そうです。そして、性は本能ではなく、学習によって身に付けていく文化だと分かった。もっと早く勉強していれば、と思いました。そのころには、目の前に高校生がいる。この授業の時間で性の話題を取り上げようと思ったわけです」 「職員会議に提案して、総合学習としてやってみることになりました。それが『人間と性』という授業です。家庭科の先生と組んで、半年は『人間と性』、もう半年は『社会福祉』というかたちで始めました」 「あるとき、グループワークで人工妊娠中絶に取り組みたいと言ってきた生徒たちがいたんです。当時の優生保護法を改訂して中絶しにくくしようという政府の動きが問題になっていたころです。身内に産婦人科医がいる生徒がいて、そこへ出かけていって話を聞いてくるんですよ。クリニックのカレンダーに丸印がいくつもついていた。医師に『これはなんの印かわかる?』と聞かれても分からない。『これは中絶の予定なんだよ』と。それぐらい日常にあるということを、生徒たちは知るわけですね」 「そういうことを得意そうに発表するんです。聞くほうも水を打ったように集中して聞いている。私の授業では水なんか打ちません(笑)。参った、と思いました。彼らには学ぶ力がある、授業がまずいんだと痛感しました」