「乳首を切除した」女性の人生。胸に突起物がついているのが「どうしても嫌だな」と感じた
「ゆるい不登校」荒廃していった生活
小学校中学年になると、努力によって日本語は上達した。主張をすることによってクラスメイトからの表立ったイジメは影を潜めたという。だがそのころ、さとさん自身に心境の変化があった。 「学校が嫌になってしまったんですよね。集団でひとりを仲間外れにする人たち、それを黙認する教師の姿を見て、幻滅したというか。小4くらいから、学校には行ったりいかなかったりを繰り返しました」 小学校4年生から中学校3年生まで、登校したりしなかったりを繰り返し、さとさん曰く「ゆるい不登校」の時期が続いた。徐々に生活は荒廃していく。 「初めてタバコを吸ったのは小4のときだったと思います。実は小6のとき、親が大手芸能事務所のオーディションに応募したら受かってしまって。しばらく芸能活動をしていたんです。ただ、中1のときに自分で安全ピンと墨汁で彫った刺青らしいものを父に見つかってしまって(笑)。父は『もうお前の芸能生活は終わりだ!』と烈火のごとく怒り、事務所は退所することになりました」
“自称不良”をボコボコにしていた
このあと、両親はさとさんへの興味を急速に失っていく。 「放任主義と言いますか、ネグレクトに近かったのではないかと私は思っています。もっと幼いころ、母は躾に厳しくて、彼女の怒りのスイッチが入ると人が変わったようにヒステリーを起こしていました。お尻を何回も叩かれて腫れ上がったこともあります。しかし中学以降は、両親は不出来な娘に完全に愛想を尽かしたようにみえました。 あの当時、地元の不良と呼ばれる先輩たちとつるむ機会が増えました。界隈にはオヤジ狩りみたいなことをやっている人たちもいましたが、私はイジメられた経験があるのでそうしたことには加担しませんでした。むしろ、中学に登校したときに『今度あいつを呼び出す』みたいなことを吹聴している“自称不良”を見つけたらボコボコにしていました」
中3の時点で「身体改造の分野で活躍したい」思いが
さとさんが働き始めたのは中学3年生と若い。仲良くしていた先輩の保険証を使用して、身分を偽って倉庫整理のアルバイトをしていたのだという。 「義務教育を受けたと胸を張って言えない私ですが、仕事で必要な知識や知恵は吸収できるものだなと思いました。お金を稼いで、身体改造の分野で活躍したいという思いが当時からあったんですよね」 なぜそこまであるべき身体の形を変えたいと願うのか。 「自分でも明確にはわかりません。ただ、原体験なのかなと感じるのは、小学生のころに転んでできたかさぶたの形を『これがハート型だったらよかったのに』と残念に思ったんですよね。みんなが『そういうもの』と気にしない細かいものを、いろいろと考えていたのは確かです」