「BSもPLも見てます」経営する作家・今村翔吾氏が考える書店ビジネス
「ほんまる」はフランチャイズ化も考えていますか。 今村:考えています。そうなった場合、地域性や人口、年齢層、市場の特性など、それぞれに違う条件の中でも、全国的に耐えられるブランディングをしないとあかんでしょう。 誰にも愛されるようなロゴであったり、ブランドイメージであったりと、そういう世界をつくり出してくださる方の力が絶対に必要だと、そこは真剣に思っていました。で、それは自分にはできない。だったらもう佐藤可士和さんしかいないと思い詰めて、可士和さんに手紙を書きました。 手紙で? 今村:はい、手紙で。 ●「無理だよね」と笑いつつ便箋に綴った“直訴状” 誰の紹介も経ないで、ですか? 今村:はい、ぶっつけ本番です。実は可士和さんが1回だけ、僕の本を産経新聞の書評で取り上げてくださったんです。 佐藤可士和さんが書かれたということ以上に、その内容が書き手の僕に響くもので、そのことがすごくうれしくて。僕の勝手なイメージですと、可士和さんはクールで、しゅっとしていて、都会的で、合理的で……という思い込みがあったんですよ。 ところが書評の文章には、情熱とか情念とか、僕の持っていたイメージとは真逆なものがこもっていて。僕自身、文章を書く人間なので、その熱が分かるんですよ。その時のうれしさがずっと胸の内にあって、そうだ、手紙を書いてお願いしよう、と。それを聞いたスタッフはみんな、「無理、無理」って笑っていて、僕自身も無理、無理、無理、無理、みたいに思っていた(笑)。 で、書いたと。 今村:はい、「オレは行動の男やから」といって、書きました。直訴状か、というくらいに長い手紙を。便箋に13枚くらいやったでしょうか。 それこそ坂本龍馬が「どうしてもこの方にお会いして、お伝えしたい」と、松平春嶽に手紙を書いたのと同じ気分になって。一所懸命に書き進めたけれど、8枚目でしくじったから、また1枚目から書き直そう、というように。 なんて初々しいのでしょう。 今村:手紙を出した後は1カ月待って、お返事がなかったら、やはりこれは暴挙であった。佐藤可士和さんに失礼なことをしてしまったということで、自分たちでやり直そうと考えていました。そうしたら忘れもしません、出張先の函館で「可士和さんからご連絡をいただいた」という話がスタッフから来て、松前城の前で可士和さんにお電話をさせていただいたんです。 僕、その時、手が震えていましたね。それで、まずは一度会いましょうということになって。 そこまでこぎつけても、「すばらしい試みですね。どうか頑張ってください」と、励まされて終わることは、よくありますよね。 今村:そもそも、会っていただくだけでも過分なことでしたし、「できることがあるなら、やりますよ」ぐらいを言っていただき、やんわりと終わるかなあ、とも思っていたのですが「分かりました。じゃあ、やりましょう」と。可士和さんはすぐに行動に移してくださった。そのパワーがすごくて、僕らの方がうかうかしてられへんぞと、いう感じで話が進んでいきました。