【社説】着床前診断 公的組織で幅広い議論を
重い遺伝性の病気が子どもに伝わらないように、受精卵の遺伝子を調べる着床前診断の対象が広がった。 出産を悩むカップルにとっては朗報だが、生命倫理の面で課題がある。さらなる拡大には慎重な議論を求めたい。 着床前診断は、体外受精した受精卵の遺伝子を検査し、異常がないなどと判断されたものを選んで子宮に戻す。 カップルの申請を受けた日本産科婦人科学会(日産婦)が審査して「重篤な遺伝性疾患」の子どもが出生する可能性がある場合に認めてきた。 日産婦は2022年に重篤な遺伝性疾患の範囲を拡大して以降、初めて審査状況を発表した。16~21年の年平均申請が約24件だったのに対し、拡大後の23年は約3倍の72件に増え、このうち58件を承認した。 重篤な遺伝性疾患は、21年まで「成人になる前に日常生活を著しく損なわれたり、生存が危ぶまれたりする状況になる疾患」と定義した。 新しい定義は「原則、成人になる前に」と変更し、成人になって発症したり、命への影響が少なかったりする遺伝性の病気も例外として認めるようになった。 日産婦によると、審査は個別の背景に留意し、同じ病気でも結果に違いが出ることがあるという。申請者には丁寧な説明が必要だ。 そもそも重篤の捉え方には幅広い考え方がある。命に関わる重い判断を一つの学会に任せてよいのだろうか。 日産婦の加藤聖子理事長自身も「学会だけで決めてよいのかという思いはある」と述べている。 国内では戦後「不良な子孫の出生を防ぐ」ための旧優生保護法下で、病気や障害がある人に強制不妊手術が行われた。着床前診断も遺伝子の異常の有無で判断するため「命の選別につながる」との批判が根強くある。 重篤な遺伝性疾患ならば排除が許されるという考えが、何の配慮もなく広まることがあってはならない。同様の疾患や障害がある人への偏見や差別を助長しかねない。 この先の医学は、私たちの想像を超えて発展する可能性がある。希望する容姿や能力を持つように受精卵の遺伝子を書き換える「デザイナーベビー」の誕生も可能になるかもしれない。 だからこそ、生殖医療における生命倫理はおろそかにできない。 着床前診断の対象に関するルールは日産婦の自主規制だけに頼らず、法律や人権を含む多様な専門家による公的組織を早急につくって検討すべきではないか。幅広い観点からの議論と国民への十分な情報提供、審査過程の透明化も欠かせない。 たとえ重い病気や障害があっても、周囲の支援で幸せに暮らすことができる。全ての命が排除されず、生涯にわたって安心して暮らせる社会をつくる努力を続けたい。
西日本新聞