イタリア オーストリアとイタリアの昔の国境とは?
私の住んでいるイタリアの南チロル地方。初めて読まれる方はこのネーミングに随分と違和感を持つだろう。どうしてイタリアなのに「チロル」というオーストリアの地域名が入っているのか?答えは簡単だ。私の住む「南チロル」は昔はオーストリアであり、チロル地方の南部だったからだ。歴史の紆余曲折があり「南チロル」と呼ばれるようになった。イタリア名では「アルト・アディジェ州」である。 我がオーラ村から車で南に20分も走れば隣接するトレンティーノ州の境に行くことができる。つまり昔はこの付近が国境だったわけだ。この境を越えると今まで地名などがドイツ語、イタリア語の2カ国表記だったものがイタリア語のみの表記に変わる。ちなみに現在のオーストリアとイタリアの国境はここから約70キロ北にあるブレンナー峠であり、ここからイタリア語が混ざってくるといった感じだ。 さて旧国境付近の現在はどんな感じなのか?早速散策してみた。 東西を巨大な壁に囲まれ、真ん中にエッチュ川(独)アディジェ川(伊)が流れるこの辺は切り立った崖が一体に広がっているので、川の東側は人が住むにはあまり適していないこともあり工業地やブドウ畑になっている。日当たりが非常に悪いので冬場は一日中日影の印象がある。 旧国境なので何か特別なものがあるのか確かめてみたが、取り立ててなかった。まあさっきも書いたように立地が非常に悪いこともあるし歴史のあれやこれやもあるので看板程度で双方が収めているのではないかと勝手に思う私である。 川の東側にはただ車が走るだけの道路があるだけなので、西側の旧国境はどうなっているのか見に行ってみることにした。 川を渡って西側に行くと、今まで崖のせいで隠れていた太陽が顔を見せ辺り一面が一気に開けた気分になった。なるほど、川の西側の方が歴史が古くて栄えていたというのも大きくうなづける。 本当に同じ地域なのか?と疑うぐらい西側は明るくて開放的な雰囲気が漂う。川沿いをのんびり散歩する人を何人か見かけた。非常にゆっくりとした時間がこちら側には流れている。日当たりというものは大事である。 日の沈むのはこちら側は早いだろうが、夏の殺人的な西日から守れていることを考えると非常に羨ましい立地である。しかしここまで目前に巨大な崖が聳えていると少し恐怖感もある。そもそも遠い遠い昔ここは海の中であり、写真に見えている崖の縞模様は海中で年月をかけて堆積したものがある日突然ここまで隆起して見上げると首が痛くなるぐらいのとんでもない高さの崖ができてしまった。こんな想像を絶する地球の歴史の事実を目の当たりにすると、いったい私は何をしにここに来たのか本来の目的を忘れてしまうぐらいのスケールである。畏怖感すら感じる。 ここが旧国境だろうと州境だろうとイタリア軍の基地が備えられていようが人との交流というものは地続きだとどうしても自然とあるもので、お互いが交流するうちに色々混ざっていたのだろう。建物ひとつ見ても「何となくトレンティーノ」「何となく南チロル」なのだ。要は双方のいいところをうまく取り入れて成り立たせている。この辺で話されている言葉もまた然り、トレンティーノ側は使い勝手のいいドイツ語を取り入れてイタリア語の方言として話している一方、南チロル側もイタリア語の使い勝手のいい言葉を取り入れて南チロルの南部の方言としている。時々ドイツからの旅行者と話をしていると「こちらの人はイタリア語を混ぜながら話すからわからなくなる時があるんだよ。」と肩をすくめて散歩中の私に話してどうしたものかと相談される。島国の日本人の我々からしたら想像するのも難しいところがあるが、国や言葉文化が違えども接する機会が頻繁にあればどうやら自然と混ざっていくものらしい。 国家という人間が作ったものの変化で昔のオーストリアとイタリアの国境が今は州の境となっているこの地域の今は雄大な自然が変わることなく存在し、その小さな小さな部分で人という生き物が静かにこの自然の中で昔からの生活を変えることなく穏やかに暮らすことを何よりの幸せと感じているのだろうと静かな秋晴れの中、のんびり散歩する人たちを見ながら私は思った。変わってほしくない、変えてほしくない生活がここにはある。
美波ラーナ