「日本人は動物に似ている」日米開戦で暗躍した二重スパイが語った「日本人から信頼を得る方法」
1941年12月8日、日本海軍がハワイ真珠湾に超大規模な航空攻撃を仕掛けた背景には、母国イギリスの航空技術を長期間にわたって日本に売り渡した男「フレデリック・ラトランド」の存在があった。ラトランドは、ロサンゼルスの豪邸を拠点に収集したアメリカ軍の情報を日本に提供しており、彼の危険性に気づいたFBIの監視対象になっていた。いよいよ太平洋に風雲急を告げていた1941年夏、ラトランドは尾行するFBI捜査官ものけぞる、異常な動きを見せる。本稿は、ロナルド・ドラブキン著、辻元よしふみ訳『ラトランド、お前は誰だ? 日本を真珠湾攻撃に導いた男』(河出書房新社)の一部を抜粋・編集したものです。かっこ内の編集部注はダイヤモンド編集部によるものです。 【この記事の画像を見る】 ● “容疑者”ラトランドが FBIを驚かせた行動 戦争が目前に迫っていた。ワシントンは緊迫し、軍のためのオフィス・スペースが手狭になっていた。まさにこの1941年7月28日、議会は新しい国防総省ビルの建設予算を承認していた。ポトマック川の向こうのバージニア州に世界最大のオフィスビルを建て、軍の本部機能がすべて入居する予定だった(ここは後にペンタゴンと呼ばれる)。 その日の朝も、海軍工廠に向かう通勤者は非常に多かったため、ONI(編集部注/アメリカ海軍情報局)本部に向かうラトランドを尾行していた2人のFBI捜査官は、容易に群衆の中に姿を隠すことができた。捜査官たちは、FBIと海軍情報局の連携があまりうまくいっていないことを承知していたが、それにしても、彼らが尾行している容疑者が、堂々と海軍の当局者と面会しようとしていることに少なからぬ驚きを覚えた。 ラトランドは局長室に案内された。カーク局長(編集部注/アラン・カーク)は温かく彼を迎えたが、ラトランドの見るところ、その目に浮かぶ色は心なしか迷惑そうだった。 「ラトランド少佐(編集部注/ラトランドは第一次世界大戦時のイギリス海軍のカリスマ・パイロット)。私はこの任務に就いてから、まだ3ヵ月しか経っておりません。着任当初、私は国務長官の名前よりも、あなたのお名前をよく聞いたものですよ」 ラトランドは、カークの就任を心から祝福するような挨拶をしたが、内心ではカークの代わりに友人のザカライアスが局長に就いていたら、この提案もずっと楽だったろうと、ぼんやり考えていた。 ● アメリカ海軍情報局は かつての約束を守ってほしい ラトランドはカークに話し始めた。アメリカ海軍は私との合意を守っていただきたい。私を適切に扱い、ONIにとって重要な人材であったことを、FBIなどに対して証明していただきたいのです――(編集部注/1939年、カリフォルニア州と周辺地域を担当するONI第11海軍管区情報部長エリス・ザカライアスは、ラトランドと秘密裏に提携関係を結んでいた)。 カークは答えた。「こんなことを言って申し訳ありませんが、少佐。あなたが言われたことについては、あなたと私たちの組織との間の正式な取り決めの記録はありません。さらに、最近の出来事により、あなたとのさらなる協力は、あまり容易なことではないですな」 ラトランドは「日本との戦争は確かに近付いています。きっと近いうちに起こるでしょう」と言った。