家族が犠牲となったロッテ佐々木朗希が「3.11」に誓うもの…「今あるものが当たり前じゃない。だから今を大切に懸命に生きる」
戦後最大の災害となった「3.11」東日本大震災から9年が過ぎた。3月11日、全国各地で6試合、無観客開催されたプロ野球のオープン戦では、試合前に犠牲者を追悼し、黙とうが行われた。千葉のZOZOマリンでは、静かに目を閉じる一人に、スーパールーキー、佐々木朗希投手(18)の姿があった。彼の故郷である岩手県陸前高田市も津波の被害を受けて父・功太さん(享年37)と祖父母を亡くした。この日、佐々木は、故郷・東北への思いと自らの決意を語った。
風化させないための発信を
午後12時45分。無観客のZOZOマリンに静寂の時間が流れた。ロッテ、日ハムの両チームのメンバーはベンチ前に並んで、9年前、東日本大震災で被害にあわれた方々へ黙とうを捧げた。ロッテには、9年が経過しても、この日を決して忘れることのできないスーパールーキーがいた。 「今こうやって、プロ野球選手として、初めて迎えた日ですけど、立場が変わって、これから僕がいろいろと発信していかなければならないという思いです」 報道陣の取材に応じた佐々木は、しっかりと前を向いて答えた。 あの日……未曾有の津波が故郷の陸前高田を襲った。佐々木は、高台に避難できたが、父と祖父母は、帰らぬ人となった。美しい故郷は、津波によって破壊され、佐々木は老人ホームでの避難生活を余儀なくされた。 「いろんなことを思いましたし、たくさんのモノを失って、新たに気づいたことがたくさんあるので、これからは、そういうことがなるべくないように後悔しないように生きたいと思います」 住む場所をなくした佐々木は、その後、母と共に岩手県大船渡へ引っ越した。それらの悲しい出来事は、当時、小学3年だった佐々木の人生観を変えた。 「今あることが、当たり前じゃないと思ったので、今という時間を昔よりも大切にするようになったかなと思います」 日常が、ある日、日常でなくなるショック。悲しみ、戸惑いながら、佐々木は、その震災の激動を乗り越えてきた。 あの日に起きた事は、佐々木の“今”につながっている。 「今あるものが、一瞬でなくなってしまうので…今、生きている身として、そういった人たちの分も一生懸命生きていかねばならないと思います」 岩手、宮城、福島の東北3県の犠牲者は2万2000人を超えた。佐々木と同じく絶望と直面した人たちがたくさんいる。だからこそ佐々木は、命の大切さを重く受け止めて、今を懸命に生きることを誓うのだ。 福島では、原発の事故に見舞われ、今なお全国で4万人を超える被災者が避難生活を余儀なくされている。東北は、復興へ一歩一歩、確実に前へ進んでいるが、まだ誰もが、完全に元の生活を取り戻したわけではない。プロになったからこそ佐々木が、「いろいろと発信していきたい」と決意しているのは“3.11を風化させてはならない“との責任感である。