阪神の元祖・二刀流助っ人、トレイ・ムーアが振り返る 「2003年の優勝」と「闘将・星野仙一」
ムーア氏の打力はチームメイトも認めるところで、テレビ局での取材の際には、ビデオレターに登場した2003年優勝メンバーの赤星憲広氏も、その打力を絶賛していた。相手チームにとっては脅威であり、味方にとってはこれほど心強いものはなかった。 当時、投手の前の8番バッターを務めることの多かった藤本敦士氏(現・阪神コーチ)には、後ろにムーアが控えている際、しばしばバントのサインを出されたという裏話を赤星氏が披露。それを聞いてムーア氏は、「星野さんは、僕にはバントのサインは出さなかった。僕も打つのは好きだったので、その点でも僕にとってはいいボスだったよ」と、闘将の采配を振り返った。 【まさかの試合中止とサプライズ】 そしていよいよ甲子園へ。「今回は球場の周りを散歩したいな」というムーア氏は、球場前のホテルにチェックイン。ロビーには、これから「出陣」というタイガースのジャージに身を包んだファンがちらほらいた。 そんなファンのひとりと目が合ったムーア氏は軽く会釈をしたが、目の前にいるアメリカ人がまさかレジェンド助っ人とは思わず、会釈されたファンの方がキョトンとするシーンも。しばしの休憩後、甲子園に向かう途中では、この日のファーストピッチの情報を得ていた熱心なファンに囲まれたが、ムーア氏は気さくにサインや写真撮影に応じていた。 球場入りすると、「ファンの前でぶざまな格好は見せられないからね」と、控室で背番号17のユニフォームに着替えると、ブルペンに向かい、肩を温めた。 ところが、突然の豪雨によってセレモニーどころか試合も開始前に中止が決まった。悪天候のため、試合前ノックなどもなかったため、現在もユニフォームを着ているかつての同僚たちとの旧交を温めることもなく、甲子園をあとにした。 しかし、これには続きがあった。翌日はプライベートで観戦の予定だったムーア氏に阪神球団が粋な計らいをしてくれたのだ。ファーストピッチはすでにタレントがすることに決まっていたのだが、そのファーストピッチでムーア氏が打席に立つことになったのだ。まさに投打「二刀流」だったムーア氏だからこそ実現できたサプライズだった。