「シベリアの悲劇を決して忘れじ」 戦争犠牲者慰霊の旅を続け約35年、日ロ平和を願った抑留経験者の僧侶
当時のやりとりについて「日本が行った虐殺なのに、日本人の自分が何も知らない。教えてくれる日本人も1人もいなかった。それが恥ずかしかった」と語った横山さん。これを機にイワノフカと交流を始めた協議会は会員の寄付を募り、1995年7月に役場の前に広がる公園内に哀悼の碑を建立した。「ざんげの碑と呼んでほしい」というモニュメントには、戦争に巻き込まれた両国の犠牲者を共にしのび、互いの悲しみを理解することこそが平和の原点になるとの思いを込めた。 ▽記憶の継承、若い世代の架け橋に 哀悼の碑は、2011年5月の協議会解散後も地元の子どもらが清掃をするなどして大切に守られてきた。横山さんも訪問を続け、2006年12月にNPO法人「ロシアとの友好・親善をすすめる会」(解散)を設立し、理事長に就任した。シベリア出兵100年の節目となった2018年8月には、ロシア正教との日ロ合同慰霊祭を開催。現地の首長や住民らも含めた約80人が参列する中、読経をささげて両国の戦争犠牲者を追悼するとともに、記憶の継承を誓った。そして「戦争という負の遺産を平和の種子とし、大木に育てたい」と思いを述べた。
慰霊の旅だけでなく、ロシアの子どもが描いた絵を持ち帰って小学校に展示したり、日本の子どもの絵を現地に送ったりするなど、両国の若い世代の懸け橋となる努力も重ねてきた。2018年7月には揖斐川町で「日露交歓コンサート」を催し、イワノフカから招待した子どもらが色鮮やかな民族衣装に身を包みんで歌声を響かせ、伝統楽器の演奏や舞踏を披露。地元の児童グループは浴衣姿で合唱して歓迎し、会場を埋めた約600人の観客から温かい拍手が送られた。 ▽ウクライナ侵攻に重なる抑留経験 高齢のほか、コロナ禍の影響などもあり、シベリアを訪れたのは2019年が最後となったが、日ロの友好と戦争犠牲者への思いを忘れることはなかった。だからこそ、ロシアによるウクライナ侵攻には心を痛めた。街が破壊され、子どもも犠牲になった。多くの住民がロシアへ連行されたと伝わった状況は自身の抑留経験と重なり、「どうしてそこまでやる必要があるのか。とても考えられない」と憤った。そして、信頼関係を築いてきた人たちの姿を目に浮かべながら「早く元のように交流ができるようになりたい。ロシアの人たちもきっと、そう思ってくれていると信じている」と願った。