「シベリアの悲劇を決して忘れじ」 戦争犠牲者慰霊の旅を続け約35年、日ロ平和を願った抑留経験者の僧侶
戦火を交えた日本人の墓地には、現地の全ての住民が好感を持ってきたわけではない。死亡した抑留者の名前を残したプレートが持ち去られたり、墓が壊されたりした例もある。それでも、横山さんが訪れると、笑顔の住民が街の入り口で出迎え、お茶に手作りのパンケーキ、クッキーなどを用意して歓迎。お年寄りのグループが日本の歌謡曲に合わせ、練習してきたダンスを披露してくれた。横山さんは、現地で尽力してくれた関係者から送られた「私たちは同じ空の下で同じ空気を吸い、同じ地球の上に住んでいる。ロシアと日本のより多くの人たちが交流してほしい」という言葉をいつも大切にしていた。 ▽「シベリアの 悲劇忘れじ 墓の石」 今年6月、横山さんが住職を務めていた勝善寺では、9月に迎えるはずだった100歳を祝う会が開かれた。そこで、慰霊の旅に同行するなどしてきた人たちを前に語ったのは、やはり「シベリア抑留の経験があるから今がある」という自身の原点と平和の尊さ、戦争の愚かさだった。寺の境内には、その志を伝えようと、現地から持ち帰った石と98歳の時に残した「シベリアの 悲劇忘れじ 墓の石」という言葉を刻んだ石碑が立つ。8月に営まれた告別式には親族やゆかりのある人らが参列し、まるでその思いをシベリアに届けるかのように、抜けるような青空がどこまでも広がっていた。