なぜ“純白のヒロイン”ソダシは桜花賞を勝てたのか…背景に陣営の計算された準備力…次戦で日本ダービー挑戦の夢プランも
管理する須貝尚介調教師は、過去にゴールドシップで皐月賞、菊花賞の2冠を勝っているものの、牝馬のクラシックは初制覇。 「牝馬では勝っていなかったので本当にうれしい。白毛馬で優勝し、すごいことやっちゃった。桜は散ってますが、真っ白なお花を咲かせることができた」と喜びをかみしめた。 ソダシの最大の勝因はスムーズなゲートに尽きる。レースでは通常、奇数番から順にゲート入りし、偶数番と続くが、ソダシは、阪神ジュベナイルフィリーズで枠入りを少しごねたため、偶数の2枠4番ながら、「先入れ」を宣告されていた。つまりゲート内で待たされる時間が長くなり、重い十字架を背負わされたようなものだった。しかし、時間を掛けて入念にゲート練習を積んでいたおかげで、この日は、ゲート内でもリラックスしているように見えた。 吉田騎手は、「厩舎の力。レース間隔をあけてリセットしてつくり直したことで、凄く落ち着いていて、自分からゲートに寄って行こうとしたぐらい」と、陣営の準備力の勝利だと強調した。 実際、須貝調教師は、念のため、ゲートまで同行することも考えていたそうだが、吉田騎手から「先生は来なくて大丈夫ですよ」と諭されていた。 物音などに過敏に反応しないようにパドックで、黒のメンコをつけていたのは前回同様。これは白毛用のコーディネートに気を使ったわけではなく、白のメンコの上に二重に装着してゲート裏で外すという細かい配慮もしていた。 1秒、2秒、3秒…。ゲートで待たされている間、須貝調教師の心臓はバクバクだったそうだが、最高のスタートを決めたことでレース前に吉田騎手と確認し合った“勝利プラン“を実行に移すことができたのである。 「枠番が良かったので隼人と素直に乗ってこよう、ということで一致していた」 ある意味、冒険とも取れるレーススケジュールも吉と出た。ソダシ陣営は、12月の阪神ジュベナイルフィリーズから”前哨戦“無しの直行ローテーションで桜花賞に挑んだ。この休養明けの”ぶっつけ勝負”のパターンは、1999年に2歳女王のスティンガーが12着に敗れるなど結果が出ていなかった。だが、須貝調教師は逆算した上で、あえて”ぶっつけ勝負”を選んだ。阪神ジュベナイルフィリーズを勝つと、放牧に出してリセット。栗東の厩舎に戻ると、2月11日から時計を出し、まる2カ月の準備期間を設けて桜花賞に照準を定めた。 「金子真人オーナーの馬はディープインパクトもそうだったように放牧に出さずに手元に置いておくことが多い。ソダシもやりたいことがあったから早めに厩舎に戻して調整して来ました。その間、時間を掛けてゲート練習を積み十分乗り込んだ。不安らしい不安はどこにもなかった」 すべてが計算通りに運んだ。