『ワン・フロム・ザ・ハート リプライズ』夢の彫刻、ハリウッド=楽園を作ろうとした男
『ワン・フロム・ザ・ハート リプライズ』あらすじ
独立記念日を間近に控えたラスベガスの街。フラニーとハンクは交際5周年記念を迎えようとしていた。旅行社に勤めるフラニーは、ボラボラ島行きの航空券を、ハンクは家の権利書をプレゼントするが、些細なことから口論が発展し、フラニーは家を出ていくことに。お互いがお互いをどこかで思いながら行きずりに出会った相手と刹那的な恋に落ちていく……。
ハリウッド=楽園を作る
「賭けなければ、勝つチャンスはない。たとえすべてを失うリスクがあったとしても、想像しうる最高のものを追求しないのは、人生においてとても愚かなことだ。芸術家でありながら安全でいることはできないのだから。」(フランシス・フォード・コッポラ)*1 1982年に公開された『ワン・フロム・ザ・ハート』は一本の映画を作るというより、アメリカにもう一つのハリウッドを作ろうとした稀代の映画作家による野心と妄想の結晶であり、破れかぶれなフロンティア精神の夢の跡といえる。月の地表のような砂漠を這うように進んでいくカメラ。未開発の土地。フランシス・フォード・コッポラは、“アメリカ最後のフロンティア”としてラスベガスを本作の舞台に選ぶ。コッポラは所有するゾエトロープ・スタジオにラスベガスのセットを建設する。ラスベガスのセットをハリウッドの隠喩と読むこともできるだろう。楽園の建設。この狂人的な発想自体に、すべてを映画に投資してきたコッポラの壮大なヴィジョンがよく表わされている。 悪天候に見舞われ困難を極めた前作『地獄の黙示録』(79)の撮影への反動から生まれたとされる本作には、『地獄の黙示録』とはまったく別ベクトルの、しかし同種の狂気や過剰さが宿っている。地獄を作った後に楽園を作る。フィリピンの自然からハリウッドの人工的な世界へ。どのショットを切り取っても観客を圧倒する魔法がある。過剰なまでの情熱がある。映画史にその名を刻む名カメラマン、ヴィットリオ・ストラーロによる撮影とディーン・タヴォウラリスによるプロダクション・デザインは、常軌を逸したレベルで本作の美学に貢献している。 撮影と美術が主導する本作は、公開前から評論家の強烈な批判を浴び、興行的に大失敗に終わる。著名な映画評論家ポーリン・ケイルは、視覚的なアイデアを積み重ねているだけであり、肝心のストーリーが見えなくなっていると本作を批判している。先行するマイナス評価のイメージに世評が左右されてしまうという現象は、当時に限らず、現在の世界でも度々起きていることでもある。そこでコッポラは本当の評価を観客に下してもらおうと自費で試写会まで開いている。 個人的にはポーリン・ケイルの意見がまったくの見当はずれだとは思わない。それでも本作の技巧に技巧を重ねた視覚的な過剰さは、あらゆる欠点を凌駕するほど魅力的に思える。何よりここには破れかぶれのロマンがある。本作の興行的な失敗によりコッポラはゾエトロープ・スタジオを手放すことになった。楽園の終わりである。しかしフランシス・フォード・コッポラのキャリアは、楽園を作り、失い、再び楽園を作る、その繰り返しを歩んできたといえる。悲願の企画である新作『メガロポリス』(24)に、コッポラは1億2,000万ドルもの私財を投じている。