『ワン・フロム・ザ・ハート リプライズ』夢の彫刻、ハリウッド=楽園を作ろうとした男
時間の操作、夢の彫刻
「サーカスの家族のように、フランシスが綱渡りをして、私たちが綱を握っているのです」(エレノア・コッポラ)*1 フランシス・フォード・コッポラの妻エレノア・コッポラの言葉が、『ワン・フロム・ザ・ハート』の踊り子ライラ=ナスターシャ・キンスキーのサーカス芸のイメージと重なる。本作のナスターシャ・キンスキーは圧倒的な輝きを放っている。巨大なネオンがライラの顔に変わるシーンは、ドゥニ・ヴィルヌーヴが『ブレードランナー 2049』(17)でオマージュを捧げていた。歌わないハンクとフラニーの代わりにライラとレイが歌うという図式も興味深い。 ハンクとフラニーが離ればなれになればなるほど、スクリーン上では二人の距離は近づいていく。『ワン・フロム・ザ・ハート』において広さと狭さ、遠さと近さは等価となる。旅行代理店に勤めているフラニーが、ショーウィンドウの中でニューヨークや憧れのボラボラ島のミニチュア、飛行機の模型をセッティングしていたように、恋人たちはラスベガスのミニチュアの中にいる。人工的でミニチュア的であるがゆえに、本物のラスベガス=楽園への遠さが切実に胸に迫ってくる。目の前にある煌びやかな世界に二人の手は届かない。 記念日にフラニーがハンクに送ったプレゼントはボラボラ島への航空券だった。抱き合ったフラニーとレイが離れた瞬間、壁に描かれた飛行機の絵が現れるというコッポラの演出は冴えわたっている。カップルが長く一緒にいるために一度バラバラになる必要があるという考え自体が、時間や距離を解体、編集することに執着するコッポラらしい映画哲学といえる。新作『メガロポリス』の主人公は時間を止める能力を持った建築家だ。終わりなき編集とは、コッポラの生き方、哲学そのものを示す言葉なのだろう。 「アイデンティティが失われたとき、本当に新しい映画、新しいイメージが生まれるのだと思う」(ジャン=リュック・ゴダール)*2 エレノア・コッポラの言葉が示すように、コッポラはギリギリの綱渡りによって新しいイメージを創造する。それはゴダールが残した言葉とも重なっている。この作品自体がリスクを賭けたロマンに恋をしている。二度とこんなことはできないだろう。ここには観客が映画に恋に落ちる理由がある。『ワン・フロム・ザ・ハート』は、明日どうなるか分からないギリギリのところで作られた、破れかぶれの夢の結晶であり、この映画に収められている何もかもが、この時代のこの瞬間にこの場所でしか生まれ得なかった夢の彫刻として輝き続けている。 *1 「Francis Ford Coppola: Interviews (Conversations With Filmmakers Series)」Gene D. Phillips, Rodney Hill, Francis Ford Coppola *2 「The Path to Paradise: A Francis Ford Coppola Story」Sam Wasson 文:宮代大嗣(maplecat-eve) 映画批評。「レオス・カラックス 映画を彷徨うひと」、ユリイカ「ウェス・アンダーソン特集」、リアルサウンド、装苑、otocoto、松本俊夫特集パンフレット等に論評を寄稿。 『ワン・フロム・ザ・ハート リプライズ ‐4Kレストア版‐』 「70/80年代 フランシス・F・コッポラ 特集上映 -終わりなき再編集-」 新宿武蔵野館、ヒューマントラストシネマ有楽町、立川シネマシティほか 全国順次ロードショー中 配給:グッチーズ・フリースクール © 1982 Zoetrope Studios
宮代大嗣(maplecat-eve)