『ワン・フロム・ザ・ハート リプライズ』夢の彫刻、ハリウッド=楽園を作ろうとした男
ゾエトロープ・スタジオ
ウェス・アンダーソンの『天才マックスの世界』(98)を見たフランシス・フォード・コッポラは、演劇と発明に明け暮れるこの映画の主人公に自分の学生時代を重ねている。子供時代のコッポラは、家族の撮影した8ミリフィルムを編集して物語を紡ぎ、そこにテープレコーダーで録音した音声を重ね、近所の子供たちから入場料を取っていたという。コッポラの志向する“ライブシネマ”の概念は、こういった子供時代の想像力の延長にあるのかもしれない。 『ワン・フロム・ザ・ハート』は10分単位の"ライブシネマ"として撮影されることを目指していたという。ゾエトロープ・スタジオに建設された9つのステージ。俳優はセットとセットの間を自在に行き来することができ、コッポラは遠くのブースに閉じこもって撮影を見ている。拡声器に響き渡る指示の声。コッポラの姿は見えないが、声だけが聞こえてくる。しかしこのときの反省から次作『アウトサイダー』(83)では、俳優の近くにいることを選んだという。 「まるでファンタジーの国のようで、映画の中で生活しているようだった。」(ソフィア・コッポラ)*2 毎週金曜日に行われていたパーティー。ソフィア・コッポラはゾエトロープ・スタジオの家族のような雰囲気を述懐している。子供時代の体験はソフィア・コッポラの映画によく表わされているように思える。ゾエトロープ・スタジオには、マイケル・パウエルやダンスシーンのコンサルタントを務めていたジーン・ケリーをはじめ、錚々たる映画人が出入りしていたという。その中にジャン=リュック・ゴダールがいた。ゴダールはゾエトロープでバグジー・シーゲルを題材にした映画を制作する予定だった。ロバート・デ・ニーロとダイアン・キートンが出演するはずだったこの企画は頓挫するが、ゴダールはゾエトロープ・スタジオで『Une bonne à tout faire』(81)という美しい短編を撮っている。この短編のカメラマン役を『ワン・フロム・ザ・ハート』の撮影監督ヴィットリオ・ストラーロが務めている。ゾエトロープ・スタジオには、野心的な映画作家の“楽園”として機能していた時期があったのだろう。