『ワン・フロム・ザ・ハート リプライズ』夢の彫刻、ハリウッド=楽園を作ろうとした男
歌わない“デュエット映画”
「『ワン・フロム・ザ・ハート』を作るにあたって、私は何か違うものを求めていた。例えば、風景、音楽、照明は、アクションの単なる背景ではなく、映画の一部であってほしかった。」(フランシス・フォード・コッポラ)*1 『ワン・フロム・ザ・ハート』のストーリーは確かにシンプルではあるが、本当に薄っぺらなものなのだろうか? カップルのすれ違いの悲劇であり、再会の喜劇ともいえる本作のプロットは、4Kレストア版として公開される『ワン・フロム・ザ・ハート リプライズ』(23)で、より研ぎ澄まされた形で表わされている。よくあるディレクターズカット版とは違い、初公開版から編集を重ねる度に短くなっていく『ワン・フロム・ザ・ハート』。『リプライズ』は13分の映像が加えられたにも関わらず、これまでのバージョンで最も短くタイトに編集されている。コッポラは常々『ワン・フロム・ザ・ハート』への特別な愛着を語ってきた。この作品は現在の観客、むしろ未来の観客にこそ自然に受け止められる可能性を秘めている。 『リプライズ』でもっとも印象的なのは、「70/80年代 フランシス・F・コッポラ 特集上映 -終わりなき再編集-」のパンフレットで映画編集者の大川景子が指摘している、ハンク(フレデリック・フォレスト)とフラニー(テリー・ガー)の住んでいる家のシーンの再編集による置換だ。二人が出会った記念日前夜を祝うロマンチックな出来事と壮絶な口論の末フラニーが家を出ていく二つのシーンの間に、二人がそれぞれの新しい“恋”を発見するシーンが挿まれている。ハンクは踊り子のライラ(ナスターシャ・キンスキー)と、フラニーはピアニストのレイ(ラウル・ジュリア)というラスベガス的なキラキラした人物に出会う。この再編集によって、お互いの身だしなみへの努力不足を罵り合うシーンに説得力が生まれる。恋人たちは、かつてあったはずのキラキラしたものを既に失ってしまっている。 再編集によって二つのシーンが分断されることで、幕劇、舞台劇としての要素がより強まっているのが興味深い。恋人たちの家のシーンは、いわば「結婚の風景~第一幕~」と「第二幕」のように展開されていく(二人は結婚していないが)。舞台劇的なエッセンスが強まることは、劇場と映画を調和させるコッポラ=ゾエトロープ・スタジオの描いた理想と接近するだけでなく、ブルーの幕が開いて映画が始まり、幕が閉じて映画が終わる本作の構造とも重なっている。 カップルはどうすればずっと一緒にいられるのか? トム・ウェイツとクリスタル・ゲイルによる歌は、ハンクとフラニーの心情へのコメントとして機能する。それだけに留まらず、二人はメロディに引き寄せられ、引き離される。別々の新しい恋人といながら、いつも相手のことが頭の中をぐるぐるしている二人は、音楽という引力と戦っているように見える。コッポラの言うように、『ワン・フロム・ザ・ハート』において音楽は背景の一部ではない。別々の場所にいるはずの恋人たちの顔がスクリーンのマジックによって近づいていく。サイレント映画的な手法によるお互いの顔の二重写し。そこに重ねられる音楽によって、本作は歌わない“デュエットの映画”となる。