「チャリティーなのに金儲け」「ギャラや広告費を返上しろ」“24時間テレビ批判”が、いかにも的外れである理由
「出演者は無償でやれ」「日テレの社員は無給でやれ」「広告収入は全額寄付に回せ」という批判があるが、確かにそれが実現できれば理想的だ。ただし、それは“持続可能”とは言いがたい。 例えば、「せっかくなら環境にやさしい服を買おうかな」と思っているときに、「いま着ている服を破れるまで着続けるべきだ」「古着を買うほうが環境にいい」と言われたら、どう思うだろうか? 「そのほうがいい」と判断し、「そうしたい」と思えばそうすればよいし、「そこまでするのはつらい」と思うなら、相手の意見に従う必要はない。「環境にやさしい服を買うほうが、そうでない服を買うよりはいい」というのも、また真実だ。
いくら正しくても、我慢を強いられるような方法は長続きしづらい。 よくも悪くも、「24時間テレビ」は日本テレビ、あるいは系列テレビ局の収益事業の足を引っ張らなかった(あるいは収益事業に貢献した)からこそ、47回も続いてきたと言える。 一方で、「環境にいい服を買っているのだから、たくさん服を買ってもいい」という発想になると、本末転倒になる。 “持続可能性”を担保することは重要だが、チャリティー活動が免罪符になったり、過剰に利益を得たりすることは避けなければならない。そうした意味では、しっかりチェック機能を持つことは重要であるし、健全な批判には真摯に耳を傾けるべきだとは思う。
残念ながら、「24時間テレビ」に対する批判の多くは、“持続可能性”を考慮しておらず、有用なものとは言いがたい。 企業の社会貢献活動が活発化する中で、活動の目的、活動の過程や結果を明確にすることが重要になっている。 「24時間テレビ」は放送時間も長く、規模の大きい活動であるから、活動の目的や寄付金の用途を絞り込むことは難しい。 しかし、今年のやす子さんのチャリティーマラソンのように、「過去に児童養護施設に身を寄せていたやす子さんが、施設の支援のために走る」と目的を明確化して、企画内容もそれに沿ったものにすることが重要だ。