パガーニ・ゾンダ S ケーニグセグCCXR(1) 全身全霊で速さを引き出す 瞬間的で爆発的な加速!
21世紀初頭にハイパーカーの頂点へ君臨
「偉大な力には、巨大な責任が伴う」。アメリカのフランクリン・ルーズベルト大統領は、過去にこう宣言した。パガーニ・ゾンダ SとケーニグセグCCXRが秘めた、桁違いの最高出力を予見した発言ではないものの、運転すれば真実だと実感する。 【写真】パガーニ・ゾンダ S ケーニグセグCCXR 同時期の高性能モデルたち 後年のラ・フェラーリも (139枚) トランスミッションは、3ペダルのマニュアル。トラクション・コントロールは、かなりベーシック。メーターはシンプルなアナログ。21世紀初頭に、ハイパーカーという新ジャンルの頂点へ君臨した2台だ。 驚異的な動力性能を引き出すため、ドライバーは全身全霊を尽くす必要がある。運転の緊張感を下げる、高度なシャシー制御技術やシーケンシャル・ミッションは備わらない。シームレスな電動パワートレインでもない。 適任が運転すれば、安全に走れる。そのかわり負担も小さくない。手懐けられる人には、尊敬の眼差しが向けられる。 同時期には、ブガッティ・ヴェイロンやフェラーリ・エンツォ・フェラーリ、ポルシェ・カレラGTなどが存在した。技術的には先にあり、いずれもシフトパドルを備えていた。しかし、資金集めのために生まれたような部分もゼロではない。 グレートブリテン島南部、ダンスフォールドのトップギア・テストコースで比較するなら、速さを突き詰めたラテン系とスカンジナビア系の2台が良い。ドライバーは、無口なスティッグではないけれど。
知見を集結し完全な量産車を作る野望
AUTOCARの読者なら、2台の登場が数年離れていることへお気づきだろう。だが、それぞれの派生シリーズは同時期に生産されていた。 先に量産仕様が発売されたのは、自然吸気V型12気筒エンジンを積んだゾンダ。自動車技術者を目指し1983年にアルゼンチンを旅立った、オラチオ・パガーニ氏の夢の結晶といえる。 友人でレーシングドライバーだった、ファン・マヌエル・ファンジオ氏の紹介状で、彼はランボルギーニへ就職。10年後には、複合素材の技術開発を率いた。 そこで生まれたのが、軽量・強固なカーボンファイバーの利点を示した、1987年のカウンタック・エボルツィオーネ・コンセプトだ。ところが、同社の経営陣はすぐには共感しなかった。 オラチオは、1988年に独立。複合素材を専門とする、パガーニ・コンポジット・リサーチ社を創業する。フェラーリとの関係が生まれ、程なくしてランボルギーニとも仕事をするようになった。 彼が抱いていた野望は、自らの知見を集結した量産車を生み出すこと。その一歩として、1991年にモデナ・デザイン社を設立。1992年にはパガーニ・アウトモビリ社を立ち上げ、21世紀にハイパーカーと呼ばれる新モデルの開発が始まった。 プロジェクトC8と呼ばれた原型は、1993年にダラーラ社の風洞実験施設でテスト。1994年には、将来の量産モデルも含めた、メルセデスAMGとのパワートレイン提供契約が結ばれる。 ゾンダというモデル名は、1995年に決まった。アルゼンチンの言葉で、アンデス山脈から吹き下ろす強い風を意味する。