なぜ稲見萌寧は日本ゴルフ界にとって歴史的銀メダルを獲得することができたのか…「プレーオフは勝率100%の得意分野」
直後に稲見は口をちょっととんがらせながら、バンカーをにらんでいた。 「悔いは残りましたけど、悔いを引きずってもしょうがないので。自分のミスなので自分のなかでおしまいにして。一瞬だけですね、沈んだのは。メダルも確定したし、次で頑張ろうと気持ちを切り替えていました」 最終組でパーをセーブしたコルダがまず優勝を決めた。そして、コもパーをセーブしてともに16アンダーで並び、プレーオフへの突入が決まった瞬間に、稲見はさらにポジティブになった。 「プレーオフは一応、勝率が100%で得意分野なので楽しめました」 国内ツアーで3戦3勝の実績を誇るプレーオフの秘密を、稲見は「なぜかはわからないですけど、目の前の相手だけだからですかね」と苦笑する。マッチプレーのような状況になるからこそ、自分がすべきプレーがより研ぎ澄まされるのだろう。 実際にティショットでフェアウェイをキープ。セカンドショットで一度手にした7番アイアンを6番アイアンに変えて振り抜き、しっかりとパーオンさせた。 18番では3日目にもセカンドショットをグリーンオーバーさせて、ボギーを叩いていた。攻め抜いた末のボギーと、やや弱気になったボギー。対照的な残像が脳裏をちらつくなかで、奥島コーチに「しっかり打つ」と伝えて6番アイアンを手にした。 約10mのバーディーパットはカップの右、わずか10cmの場所で止まる。先にタップインパーとした稲見に対して、ティショットを右バンカーに打ち込み、レイアップから何とか3オンさせたコのパーパットは惜しくも外れて決着がついた。 畑岡や渋野日向子、原英莉花ら1998年度生まれの「黄金世代」と、古江彩佳ら2000年度生まれの「ミレニアム世代」の間の1999年度に生まれた自分を「はざま世代」と呼び、同世代のなかで「ダイヤモンドになりたい」と公言してきた。 畑岡が早々に東京五輪代表を当確させていた状況で、くしくも渋野、古江と最後まで残り1枠を争った。昨秋以降の大ブレークで手にした代表の座だが、東京五輪が予定通り昨夏に開催されていたら代表争いに無縁のまま、声援を送る側になっていた。 「まず出場できたことが本当に運命というか、自分のなかでは奇跡なので。私にとっては夢の舞台でしたけど、フワフワしたような気分のなかでプレーできた、すごく楽しい1週間だったというか、夢の舞台のままで終われたことが本当によかったです」 歴史を変えた戦いを振り返った稲見の手の爪には、左に日の丸が、右には五輪カラーがイメージされたマニキュアがひっそりと施されていた。自国で開催される一世一代の戦いへ、熱い思いを注いでいたヒロインはこんなメッセージも発信している。 「子どもたちにも夢を与えられるかな、と思いました。これからゴルフをやってみたい、というお子さんがいれば、ぜひやらせてあげてほしいと思っています」 日本ゴルフ界を感動させた快挙が未来をも明るく照らしてほしいと望む稲見は、13日に初日を迎える国内ツアー、NEC軽井沢72ゴルフトーナメントに出場。銀メダルの余韻に浸る間もなく、8日から賞金ランキング2位のプロに戻って練習を再開させる。