元祖ストリートファイター! 異端的存在であった2ストロークスポーツ「ウルフ」
1980年代当時、レーサーに近い性能を持つ2ストローク250ccモデルは、まさにバイクシーンのの主役であり誰もが憧れる存在だった。1988年に発売さたれウルフは、RGV250γとほぼ同じ性能を持ちつつ、カウルレスにすることで6万円価格を抑えたモデルであった。 【画像】「ウルフ」のウルフのディテールをギャラリーで見る(24枚) 文/Webikeプラス 後藤秀之
1968年、スズキの歴史に初めてウルフの名前が登場
スズキの歴史の中に「ウルフ」という名前は何回か登場する。最初にウルフという名前が登場したのは1968年に開催された東京モーターショーで、T90ことウルフ90とT125ことウルフ125という兄弟車であった。この2台のウルフは車体は基本的に共通で、当時のロードレーサーをイメージさせるパイプフレームに空冷の2ストローク2気筒エンジンを搭載していた。最高出力はウルフ90が10.5PS/9000rpm、ウルフ125が15PS/8500と当時としてはかなりハイスペックであり、スポーツバイクとして人気を博した。ウルフ90/125は1969年から1972年まで生産され、その生産中止によって一度ラインナップからウルフの名前は姿を消す。
2代目ウルフは、ファットタイヤのレジャーバイク
次にウルフと名付けられたバイクが登場するのは1982年であり、極太の小径ホイールを履いたいわゆるレジャーバイクであった。当時スズキにはバンバンというレジャーバイクがあったが、バンバンが横型の空冷2ストロークエンジンを搭載していたのに対して、ウルフはハスラー系の縦型空冷2ストロークエンジンを搭載、ミッションも5速が与えられていた。ウルフとバンバンは併売されていたが、バンバンとシェアを食い合う形になったためか売り上げは伸びず短命に終わった。
三代目ウルフはレプリカの血を引くスポーツモデル
三度ウルフの名がスズキのラインナップに並んだのは、1988年のことである。この三代目ウルフは、同年発売されたVJ21A型RGV250γのカウルレス版であった。ここで「カウルレス」という言葉をあえて使ったのは、1988年当時はまだ「ネイキッド」というバイクのカテゴリーは確立されていなかったからである。 RGV250γはレーサーレプリカの始祖であるRG250γのフルモデルチェンジ版であり、内部にリブを持ったアルミ引抜き材を使用したDC-ALBOXフレームに、完全新設計のV型の2ストロークエンジンを搭載していた。このエンジンは市販車としては初めてニッケル・リン合金とボロンナイトライドのメッキを施したSBCシリンダーを採用して耐摩耗性を向上させ、一体式で容易に取り出せるカセット式トランスミッションを採用してレースへの対応性を高めていた。最高出力は45PS/9500rpm、最大トルクは3.8kg-m/8000rpmと規制値一杯であったが、同系統のエンジンがアプリリアのRS250に搭載された際に70PS/9750rpmを発揮していたことを考えると、そのポテンシャルは自主規制によってかなり抑えられていたと考えられる。フロントフォークはインナーフォーク径41mm、リアサスペンションはリヤにニューリンク式フルフローターを採用して足回りも即レースに対応できるレベルに仕上げられていた。 エンジンやフレームといった基本部分をRGV250γと共用していたウルフだが、フロントブレーキがシングルディスク化されたり、スプロケットを14丁/44丁から14丁/46丁に変更されるなどの変更点も当然ある。エンジンスペックは45PS/9500rpm、最大トルクは3.8kg-m/8000rpmなのでRGV250γと同じだが、二次減速比が上げられているので加速性能はウルフが上であると考えられる。また、シート周りなどはRGV250γと同じだが、若干ではあるがハンドル位置が高く設定されており、コンセプトとしてはレーサーレプリカをよりストリートで扱いやすくすることであった。1989年にはマイナーチェンジが行われ、2速と3速の減速比を変更、デジタル点火方式を採用して点火時期も変更された。またステップ位置も変更され、ポジションが若干楽になっている。RGV250γは1990年に倒立フロントフォークや右側2本出しマフラーを採用したVJ22A型へとモデルチェンジが行われたが、ウルフは1989年末に小変更を受けてそのまま生産が続けられた。