日本の刑事裁判は「推定有罪」?元裁判官が教える「痴漢冤罪を免れるためのシミュレーション」
つい殴る、SNSの書き込み…刑事事件は身近にある
瀬木前科前歴のない人でも、ついかっとなって殴ってしまい暴行、傷害、また、打ち所が悪くて被害者が死んでしまい傷害致死、というのは結構あります。 殺人も、実際には、近親や知人間の感情のもつれから起こるものが多いのです。果物ナイフをちょっと突き出したら死んでしまった、などといった悲惨な例があります。 若者や子どもだと、バイト先のレジからわずかなお金をくすねて窃盗、捨てられているようにみえた自転車を拾って乗っていたら実は盗難車で占有離脱物横領、非常に多い万引き等々、より誘惑に弱いですよね。これらは、ごく普通の子でも魔がさせばやりますし、それで逮捕、勾留という事態もあるのです。 こうしたことも、本人、また、子どもの場合には親が、最低限の予防法学的な知識や感覚をもって注意していれば、避けられることなのですが……。
侮辱罪や名誉棄損と、表現の自由
―― 最近問題になっているのが侮辱罪です。SNSでの心無い書き込みで自殺された女子プロレスラーの悲劇は記憶に新しいところです。こうした被害を繰り返さないためには致し方ないとの意見もありますが、プロの視点からみると、侮辱罪の厳罰化について、どのようにお考えですか? 関連して、名誉毀損の民事・刑事事件については? 瀬木これらは、制度論の問題です。 私自身は、たとえば、名誉毀損における「真実であると信じるに足りる相当の理由」について過大な証明をメディア等に求めるのはもちろん、真実性の証明責任を被告側に負わせることにも、侮辱罪の厳罰化にも、疑問をもっています。 それは、これらの方向性が、民主主義社会の最も重要な基盤である表現の自由をそこない、ことに、政治家、大企業等を含む権力者についての報道や批判を致命的に萎縮させるからです。 アメリカ社会とその民主主義には、日本とはまた異なった意味で、深刻な問題があります。しかし、アメリカ法は、右のような観点から、表現の自由については絶対的なものに近いほど重きを置き、公人については、日本とは逆に、被害者側に、摘示された事実の非真実性、また、現実の悪意(故意またはそれに準じる悪意)の証明を要求しています。 この例にとどまらず、アメリカ法が、全般的に、表現の自由の機能、意味を重視して権力等の行使に関する批判の自由を保障し、そうすることによってその透明性を保とうとしていることは、評価すべき、また、参考にされるべき事柄だと思います。 法がこうした領域に立ち入るについては、ミクロな視点だけではなく、社会全体の利益というマクロな視点からの考慮も、必ずなされる必要があります。 つまり、名誉毀損・侮辱等の表現にかかわる事柄については、背後にある問題についても、よくよく考える必要があるのです。 元エリート判事にして法学の権威として知られる瀬木比呂志氏の新作、『現代日本人の法意識』が刊行されます。 「同性婚は認められるべきか?」「共同親権は適切か?」「冤罪を生み続ける『人質司法』はこのままでよいのか?」「死刑制度は許されるのか?」「なぜ、日本の政治と制度は、こんなにもひどいままなのか?」「なぜ、日本は、長期の停滞と混迷から抜け出せないのか?」 これら難問を解き明かす共通の「鍵」は、日本人が意識していない自らの「法意識」にあります。法と社会、理論と実務を知り尽くした瀬木氏が日本人の深層心理に迫ります。
瀬木 比呂志(明治大学教授・元裁判官)