日本の刑事裁判は「推定有罪」?元裁判官が教える「痴漢冤罪を免れるためのシミュレーション」
やってもいないのに「痴漢!」と叫ばれたら逃げるべき? どうして「冤罪」が生まれてしまうの? 【写真】なんと現代日本人の「法リテラシー」は江戸時代の庶民よりも低かった? 裁判官として1万件超の事案を扱ってきた大学教授・瀬木比呂志さんの話題の書物『我が身を守る法律知識』には、日本の刑事裁判の恐るべき実態や、「痴漢冤罪」はじめ「身近な刑事事件」で人生を棒に振らないようにするための方法が書かれている。瀬木さんにお話を伺った。
日本の刑事裁判は「有罪推定」
―― 瀬木先生は民事系裁判官を33年間お務めになられて、ご専門は民事訴訟法や民事保全法です。にもかかわらず、『我が身を守る法律知識』では刑事裁判についても取り上げています。長年、民事をご専門にされてきた立場からみて、刑事裁判はどのように見えますか? 瀬木日本の刑事裁判は非常に問題が大きいというのが事実です。大きく二つのことがいえます。 第一は、「人質司法」、つまり、身柄拘束による精神的圧迫を利用して自白を得るやり方です。日本の刑事司法の顕著な特徴であり、冤罪の温床となっています。犯行を否認すれば、起訴前だけでも20日余り身柄を拘束されることが多いのです。 第二の問題は、刑事系裁判官の審理、判断が、往々にして非常に検察寄りだということです。冤罪事件、あるいはその可能性が高いといわれる事件の判決を読むと、裁判官は、検察官の主張やそれに沿う自白調書の内容については、ほとんどありえないようなことでも認めてしまっており、一方、被告人の反論については、相当の理由があっても、ごく簡単にしりぞけているのです。 ――裁判官に任官するまでは、司法研修所で同じ教育を受けてきたにもかかわらず、専門が刑事と民事に別れてしまうと、なぜこんなに違ってしまうのでしょうか? 瀬木ここは私にもよくわからないのですが、刑事系裁判官集団が小さいこと、ムラ的な拘束がより強いこと、無罪判決を目立って出すと昇進に響いたり意地悪人事をされたりしやすいことなどが考えられますね。 付け加えれば、民事裁判官に問題がないというわけでは決してないですし、反面、どの分野でもまっとうな裁判官もいる、というのも事実です。 ―― 刑事法を習うと、「疑わしきは罰せず」「疑わしきは被告人の利益に」が繰り返し強調されます。実際の刑事司法の現場は、全く違うのでしょうか? 瀬木残念ながら、日本の刑事司法の実際は、「相当に違う」といえます。 本来、刑事訴訟で必要とされる証明度は、民事訴訟のそれよりもはるかに高いはずなのですが、実際には、冤罪事件の多くでは、裁判官は、「民事でもおよそ原告を勝たせられないようなずさんな立証で、原告側に当たる検察官を勝たせている」のです。 結果として、ほとんど被告人に無罪の証明責任があるかのような「有罪推定」の裁判になってしまっており、再審事件では、その要件が厳しいこともあって、この傾向はさらにひどくなります。 ―― 刑事裁判には、なぜこれほどの問題があるのでしょうか? 瀬木突き詰めてゆくと、裁判というものに対する社会、その多数派の幻想が、刑事では、民事よりもはるかに強く、バックボーンの弱い刑事系裁判官集団には、有罪推定、厳罰主義の路線を外せるような個人的・集団的基盤があまりないということがいえるように思います。「原始力ムラ」の学者たちと同じようなことになっているのでしょうね。