生きていたら59歳。今、夫・尾崎豊に伝えたい言葉をランタンに書き天に放った妻・繁美の想い
『I LOVE YOU』『OH MY LITTLE GIRL』『シェリー』『卒業』……、今も愛される名曲を残し1992年4月25日、26歳の若さで旅立ったロックシンガーの尾崎豊さん。そんな尾崎さんと18歳で出逢い、20歳で結婚、21歳で息子・裕哉さんを出産し、24歳で最愛の夫と死別するという壮絶な別れを経験した妻・繁美さん。 【写真】生前最後の26歳の誕生日パーティで『シェリー』を歌う尾崎豊 早いもので豊さんが旅立ってから今年で32年。4月には33回忌を済ませ、ひとつの区切りがあったと繁美さんは語ります。そして、11月29日はそんな豊さんの誕生日です。もしも今生きていたら今年59歳を迎えた豊さん。 昨年は豊さんへのラブレターという形で想いを綴っていただきましたが、今年は大きな節目を終えた心境と、タイ・チェンマイの「ロイクラトン(灯籠流し)&コムローイ祭り(天燈上げ)」に参加し、天にいる豊さんに想いを届けてきた出来事について、妻・繁美さんが寄稿いただきました。 以下、尾崎繁美さんの寄稿です。
在りし日の誕生日の想い出
2024年も早いもので、残すところ1ヵ月余り。 今日は、豊が生きていたら59歳の誕生日です。 昨年はこの誌面で公開ラブレターを綴りましたが、あれから1年だなんて、本当に時の経つのは早いと感じます。 豊は生前、「誕生日に良いことがあった試しがない」と言っていたので、故人に想いを馳せながら、今日は恒例のちょっとピリリとスパイシーなニラと生姜と黒胡椒が多めの、尾崎家の餃子を作り、”餃子と相性が良い”と、尾崎豊をこよなく愛する友人からプレゼントされた「ボランジェ LA GRANDE ANNEE」というシャンパンでお祝いをしたいと思っています。 豊は11月生まれですが、兄の康さんの誕生日が近いこともあり、自分だけのケーキがなかったと言っていたり、メロンは高級だから食べられなかったと言うので、お誕生日には豊のためのケーキか、マスクメロンを用意していました。ちなみに幼少期の尾崎家の誕生日ケーキは、池袋の老舗洋菓子店の『タカセ』が定番でした。豊は、タカセのアーモンドチュイルが大好きだったので、今でも池袋に立ち寄ると必ずタカセで購入し、仏壇にお供えします。 生前最後の26歳の誕生日は、麻布十番にあるカラオケ店で豊の友人である吉岡秀隆さんや金山一彦さん、他には私の友人や妹などを呼んで、みんなでお祝いしました。友人たちと囲んだケーキ、笑い声が響く店内、一緒に過ごした時間が心の中で温かく蘇ります。 この日の豊は機嫌がよくて、たくさん歌ってくれました。井上陽水さんの『リバーサイドホテル』や徳永英明さんの『最後の言い訳』が得意で、これをOZAKIバージョンで歌うと、息を呑むほどの圧倒的な存在感とまるで自分の楽曲であるかのように心を捉える独自の世界観があり、その表現は独特の華と艶やかさで、聴く者の心を揺さぶる魅惑の歌声でした。 そして最後に隣で、私の顔を見ながら『シェリー』を歌ってくれました。誕生日には必ずその場面が恋しくなる、大切な想い出です。