20代くらいの明るい女性に「あのクルマ、カッコいいね。もしかしたら貴女のクルマ?」と声をかけたら
自動車ジャーナリストのレジェンド岡崎宏司氏が綴る、人気エッセイ。日本のモータリゼーションの黎明期から、現在まで縦横無尽に語り尽くします。 岡崎宏司の「クルマ備忘録」 若い頃からアメリカ好きだった筆者は、アメリカ映画やドラマに登場する田舎のモーテルに惹かれ、アメリカを訪れる度、モーテルに泊まり続けました。ある朝、部屋を出ると、受付の脇に60年代の乗用車をベースにした、ピックアップが駐まっていて……。
アメリカが好き、モーテルが好き!
僕は子供の頃から、アメリカに憧れていた。憧れは、まずは、大きくて華やかなアメリカ車、豊かで、明るくて、ハッピーなライフスタイル、、といったところから始まった。 そして、1950年代半ば辺りからは、アメリカの音楽に強く惹かれるようになった。その中心にいたのがエルビス プレスリー。 特に、1956年にリリースされたハートブレーク ホテルには夢中になった。エルビスのレコードを買いまくった。 1960年代に入ると、アメリカのTVドラマが日本でも放送されるようになったが、これにも夢中になった。とくに好きだったのが「サンセット77」。
サンセット大通り77番地にある、私立探偵事務所で起こるいろいろな事件をテーマにしたものだが、とにかくカッコよかった。以後、TVで見るドラマは、ほとんどがアメリカものばかりになった。 そんな状況の下で、僕のアメリカ好きはさらにさらに加速。16歳から乗り始めたオートバイでは、ハリウッド映画『乱暴者』の主役を演じたマーロン ブランドの出立をそっくり真似て、得意になっていた。 とにかく、僕はアメリカが好きで、アメリカに憧れていて、、アメリカに行きたくてしょうがなかった。でも、当時は観光目的の海外渡航は許されなかった。 観光目的のパスポートが発行されるようになったのは1964年4月1日から。大学を卒業した年だが、僕はすぐパスポートをとった。そして、アメリカ行きの計画を立て始めた。 いちばん重要なお金の問題も、「ある時返しでいいよ」という条件で親が出してくれることになった。ラッキーだった。 どうせ行くならアメリカだけではなく、他国にも行きたくなり、飛行機は「世界一周」のチケットを買った。