魚を食べない高倉健が挑戦した秋の味覚。パートナーが語る食卓の思い出「じっとお皿を見つめたあと、覚悟を決めたように一箸目を口に運んでくれました」
最後の映画スター・高倉健さんが83歳で逝去されて10年が経ちました。1996年に知り合い、17年寄り添ったパートナーの小田貴月さんによる、家庭料理を紹介したフォトエッセイ集『高倉健の愛した食卓』が刊行に。毎日の食事だけでなく、夜食やスイーツまですべて手作りだったというお家ごはんの内容をご紹介します。 【写真】骨なし秋刀魚。大根おろしとカボスを添えて * * * * * * * ◆秋刀魚の思い出 食べ残すことがないように、全体のボリュームを調整しながらお料理を出しましたが、献立には、お刺身なし、焼き魚なし、煮魚もなし。 一度だけ皿に残されたことがあった秋刀魚(さんま)の思い出。 高倉の好みを確かめながら献立を工夫できるようになった私は、まさに旬の時期、魚屋さんでキラキラ光る秋刀魚を見かけ、何とか焼き秋刀魚を食べてもらえないかと、少し無謀な試みをしたことがありました。 「そろそろ秋刀魚が美味しい季節ですね」 と話しかけてみたのです。すると、 「僕は遠慮しとくよ」 「骨、取りますから、食べてみませんか?」 と直球で勝負。 「いや、いいよ……」 「一度でいいですから、食べてみませんか? 試しに、どうでしょうか」 返事を待っている私に、 「……まあ、そこまで言うなら食べてみてもいいよ」 チャンス到来でした。 とはいえ、直前になって、「やっぱりいらない」と言われることも想定し、主菜のお肉の分量を増やせるようにバックアップ態勢を整えておきました。
◆「よく焼きだよ」 秋刀魚ミッション当日、できるだけ煙を控えめに焼くため、フライパンを用意していると、 「よく焼きだよ。わかった?」 やはり不安がぬぐえない様子で、すかさず念押しが入りました。 焼き上がった鮮度のよい秋刀魚の皮は、コートを脱ぐようにするっとけましたが、左右に開いた身を崩さないように骨をはずそうとすると、小骨の多さに途中で泣きそうになりました。 それでも、なんとか温かいうちに、骨なし秋刀魚を、大根おろしとカボスを添えてお皿に盛りつけることができました。 高倉は、じっとお皿を見つめたあと、覚悟を決めたように一箸目を口に運んでくれました。隣で私が食い入るように見つめている気配を察して、 「こっちを見てないで、自分のを食べなさいよ」 と笑います。場がほぐれたところで、私も食べ始めました。
◆お皿に残ったものは 高倉に出したお皿の秋刀魚はどんどん減っていって一安心したものの、急に、 「はいっ! ごちそうさま……カボスと大根おろしは美味しかったよ」 とお皿を指さすのです。 そこには、小骨が数本刺さった秋刀魚が本当に一口だけ残されていました。 年々、水揚げの落ち込みが懸念されていて、以前より細身で高値なのに驚かされますが、今でも秋刀魚を見かけると、この日の出来事を思い出します。 ※本稿は、『高倉健の愛した食卓』(文藝春秋)の一部を再編集したものです。
小田貴月