年末年始に一気読みしたい!本の目利き・鴻巣友季子が激賞する2024年の小説ベスト21作
時代の移り変わり
1 角田光代『方舟を燃やす』新潮社 角田光代の得意とするクロニクルノベルだ。1970年代に大流行した「ノストラダムスの大予言」や「口裂け女」の都市伝説。コンピューターが誤作動するという2000年問題、災害時に現れる差別的なデマ。米国には影の政府が存在するという陰謀論が根強くある。飛語は今、ネットで文字通り飛び散っていく。 文学の源流にはうわさがある。ひとは「つてこと(流言)」に振りまわされる。『方舟を燃やす』は、公私の「つてこと」の数々をたどりつつ、人間の生の拠りどころとは何かを考えさせる。 カルト教団に入る者、フェイクニュースを信じる者。しかし真偽の境は明確ではない。飛馬の父の教えが史実と反していても、それが彼のささやかな信念であるなら、誰に否定できるだろう。一つの真実、一つの正義などあり得ない。 2 水村美苗『大使とその妻(上・下)』新潮社 作者12年ぶりの長篇の語り手は、アメリカに生まれた英語のネイティヴスピーカーでありイェール大学院卒の白人男性ケヴィン。いまは東京と軽井沢・追分の別荘を行き来しながら、「失われた日本」というウェブ上の文化プロジェクトを運営している。 彼は隣に越してきた元南米大使夫妻と親しくなり、森の中で夢のような交流をつづける。月夜に能を舞い、古い銀幕女優のような言葉を使う妻に、ケヴィンは日本から失われた高貴さやゆかしさを見出す。ところが、驚くような事実がのちに明かされるのだ。 作者はアメリカ男性の主人公にあえて非母語で異郷の社会を見晴らす機会を与えることで、日本語を異化し、彼の追い求めるものは決して手に入らないことを暗示してもいるのではないか。ケヴィンたちが抱いている幻へのノスタルジー、それは作者が二十年間の米国滞在から帰国後に抱いている古き日本と日本語への望郷の念と重なっているのかもしれない。 3 デイモン・ガルガット『約束』宇佐川晶子/訳 早川書房 3度目のノミネートでブッカー賞を受賞した。舞台は南アフリカの首都プレトリア。1986年に始まり、およそ30年にわたってアフリカーナーの一家の没落の歴史をたどる。10年の間隔をおいた四章に分かれ、それぞれの物語の起点に死と葬式がある。 「母編」では、13歳の末娘アモールが視点人物の一人となる。父親は長年住んできた家を黒人の使用人サロメに正式に譲ると約束していたのに、この約束は一向に果たされる気配がない。 順繰りに家族が姿を消したのち、物語にほとんど登場しなかったサロメがついに家を譲られる。ある意味、唐突でいびつな構成になっているが、それは有色人種への「真実と和解」を真に追究しきれていない南アという国の歪みそのものでもあるだろう。時代の変転は突然やってくる。 三人称文体で語られるが、視点の切り替えはほとんど魔術的だ。また、宗教、信心の起爆力、カトリック神父への告解、不義の関係、死に際での改宗、思想への傾倒、小説家の存在、これらの要素とその組み立て方からして、グレアム・グリーン『情事の終り』が設計図の下敷きにあるのは確かだろう。