33歳から「5浪で大学院」目指した彼の強い決意。大学も2浪で合格、数々の学び経た彼のその後
小学6年生のときに一緒に栄光学園を受けた友達は、神奈川県有数の進学校、県立横浜翠嵐高等学校に進学。鷲北さんは軽い気持ちで「昔は成績がほぼ一緒だったのに、いいな~」と話したところ、胸ぐらを掴まれ、「お前がチャラチャラしてる間に俺がどれだけ頑張ったか、わかってるのか!」と返されたことで、自分が愚かな人間であると再確認したと語ります。 こうして舞岡高等学校に入った鷲北さん。 ここでも入学当初は450人中8位という好成績だったものの、学生生活を謳歌しすぎて、まったく勉強をしませんでした。
「中学時代と変わらず、目立つことや人を笑わせることをずっと考えていました。高校1年生のときには生徒会長に立候補して、当時の会長がいたクラスに『生徒会は庶民のものだ! お前のやってることは間違ってる!』と演説しに行ったり、組んでいたバンドで、戸塚公会堂で演奏し、300人もの観客が見に来てくれました」 高校1年生で生徒会長になった鷲北さんは「自分はプロのミュージシャンになれるかもしれない」と思い、音楽のオーディションも根気強く受け続けたものの、残念ながら落選続きでした。さらに高校2年生のときには「勉強はできないけど、音楽は自信がある」と思い立ち、音大に行こうと考えたものの、ピアノや声楽の訓練を続けているうちに自分には難しいと断念し、大学受験を決意します。
■上位の成績で入り、高校3年生で最下位 しかし高校3年生を迎えた鷲北さんは、まったく勉強をしていなかったために、ついに成績は学年最下位になってしまいました。 「先生に、『こんなに上位の成績で入って、こんな下になったのはお前だけだ』と言われました(笑)。当時、代ゼミの全国模試を受けたら偏差値25で、10万8000人の受験者で、下から50番目の点数でした。 ところがめでたいことに、(中学受験模試の)上位者名簿に載った経験があるし、ノー勉で県立高校は受かっているし、大学受験は大変だろうけど、『これくらいやれば4大(4年制大学)にいけるんじゃないか』という読みが自分の中であったため、楽観的だったのです」