ファミコンは「日本発のイノベーション」ドラクエで人気爆発、世界に広がったゲーム市場 #昭和98年
1986年4月号の「文藝春秋」で「ファミコンは子供をダメにする」と有害論が報じられた。長時間ゲームに没頭する子どもが増え、「勉強をしない」「夜更かしをする」といった問題が指摘され始めた。ファミコンの達人として名を馳せた高橋名人が「ゲームは1日1時間」と訴えるようになったのは1985年7月だが、ファミコンは登場からわずか数年でそうした社会的な影響力を持つ存在に駆け上がっていった。1988年2月の『ドラゴンクエストⅢ』発売日に学校を「ずる休み」する子どもが続出、池袋の家電量販店には約2キロ、1万人の行列が生まれた。エニックスが準備していた100万本のソフトは初日で完売した。 一方、社会現象化したブームの中、ファミコンには新しい可能性も見いだされていたと細井教授は指摘する。家庭用コンピューターやネットワーク機能としての可能性だ。細井氏はファミコンの拡張性こそイノベーションだとの見方を示す。
「ファミコン本体の前面に拡張端子がありますが、これはキーボードなど新しいデバイスもあり得ると想定して付加した端子のようです。実際、ファミコン発売の約1年後に発売された『ファミリーベーシック』では、プログラミング言語BASICを組み込んだカセットとキーボードをセットにして簡易なコンピューターの機能が備えられていました。それを使ってソフトをつくったりすることもできる。『ファミリーコンピュータ』という製品名の通り、家庭用コンピューターとして使用されることが実現しました。拡張性は他にもありました。1988年、任天堂は『通信アダプタセット』を発売。電話回線に接続し、株式売買を行える『野村のファミコントレード』(野村證券)を世に出しています。通信速度の問題などで広くは普及しませんでしたが、一般ユーザーがファミコンで株を売買できるオンライントレードにも挑戦していたのです」 ネットワークの拡張性に、任天堂はスーパーファミコン時代も挑戦している。1995年、衛星放送通信を通じてスーファミのゲームを配信する『サテラビュー』を発売。ソフトをダウンロード配信する先駆けだった。こちらも取り組みが早すぎたのか、短命に終わった。細井氏はこうした拡張性はインターネット時代を先取りした発想だった可能性があると力を込める。 「通信速度などデジタル環境が当時整備されていたら、ファミコンはネットワーク機器としてさらに羽ばたいたでしょう。任天堂で開発責任者だった上村雅之さん(故人)は、米アップルのスティーブ・ジョブズやマイクロソフトのビル・ゲイツと並ぶイノベーターだと思いますし、ファミコンは昭和におけるトップクラスのイノベーションだったのではないでしょうか」 ---------- 岩崎大輔(いわさき・だいすけ) ジャーナリスト。1973年、静岡県生まれ。講談社『フライデー』記者。政治やスポーツをはじめ幅広い分野で取材を行う。著書に『ダークサイド・オブ・小泉純一郎 「異形の宰相」の蹉跌』(洋泉社)、『激闘 リングの覇者を目指して』(ソフトバンク クリエイティブ)、『団塊ジュニア世代のカリスマに「ジャンプ」で好きな漫画を聞きに行ってみた』 (講談社)がある 「#昭和98年」は、Yahoo!ニュースがユーザーと考えたい社会課題「ホットイシュー」の一つです。仮に昭和が続いていれば、今年で昭和98年。令和になり5年が経ちますが、文化や価値観など現在にも「昭和」「平成」の面影は残っているのではないでしょうか。3つの元号を通して見える違いや残していきたい伝統を振り返り、「今」に活かしたい教訓や、楽しめる情報を発信します。