ファミコンは「日本発のイノベーション」ドラクエで人気爆発、世界に広がったゲーム市場 #昭和98年
ゲーム機産業の規模は拡大し、家庭用ゲーム機はプレイステーション系やNintendo Switchなど高画質のゲームへと進化していったが、現在はスマートフォンゲームという新たな潮流も生まれている。そして、あまりに目覚ましいテクノロジー環境の進化により、再び個人レベルで高度なゲームがつくれるようになってきているという。 「例えば、ある戦場の風景やいまの渋谷駅前の風景。こうした実写に近いゲーム用画面も簡単につくれるようになっています。つまり、個人でも相当にリアルで高度な描写のゲームがつくれるようになっているんです。すごいイノベーションが起きているんです。その意味では、ファミコンから40年を経て、またあの頃のように個人や数人でつくれる時代になってきたのかもしれません」
■立命館大学・細井浩一教授「ネット時代を先取りした拡張性」
産業イノベーションとしてのファミコン。その意義に別の側面から着目するのは立命館大学映像学部の細井浩一教授だ。 「1980年代、日本製の自動車や家電が北米市場を席巻すると、『雇用を奪うな』と米国内の産業との貿易摩擦で日本バッシングが起きました。しかし、ファミコンは問題視されなかったのです。1985年にNintendo Entertainment System(NES)という名称で発売されると、やはりスーパーマリオなどで人気を得ました。1980年に設立していた米国法人では現地の雇用も生み出し、感謝までされたと聞いています。貿易摩擦を生まずに米国市場を席巻したのは、日本の産業史にも前例がありません」
立命館大学ではゲームを次代へ継承すべき「文化資源」とみなしてゲーム研究センター(RCGS)を2011年4月に設置。ファミコンなどのゲームを研究対象とし、家庭用ゲームソフトとPCゲームソフトをあわせて約1万2000タイトルを保存・管理している。 ファミコンは発売から急激な勢いで売れていったが、ただの玩具的な存在から次第に社会的な存在として認識されていった。それは1986年頃から顕著になったと細井教授は言う。 「ファミコンの販売台数が1千万台近くになったのが1986年。多くの家庭に浸透していました。日常的な娯楽となり、子どもやマニアだけでなく、社会全体の関心事となった。生活に密着し、ファミコンは文化にもなったのです。同時に、懸念も出るようになりました」