【光る君へ】藤原公任の妻・敏子は何者? 村上天皇の孫で藤原道兼の養女だった謎の姫君
大河ドラマ『光る君へ』では、いよいよまひろ(演:吉高由里子)が藤原道長(演:柄本佑)の依頼で“帝に献上する物語”として『源氏物語』の執筆をスタートさせた。この大河ドラマでそのきっかけを作った人物の1人が、藤原公任(演:町田啓太)の妻・敏子(演:柳生みゆ)だ。まひろを和歌の先生として四条宮に迎えた彼女は、史実ではどんな女性だったのだろうか? ■村上天皇の孫として生まれ、やがて藤原道兼の養女になる 作中では「敏子」という名がついている彼女だが、実名は不明である。公任との間に誕生した息子・定頼の名から「藤原定頼母」や「藤原公任室」などといわれる。 彼女の父親は、村上天皇の第5皇子である昭平親王だった。冷泉天皇や円融天皇とは異母兄弟にあたる人物だ。つまり藤原定頼母は天皇家の血筋にあたる高貴な姫君だったことになる。ただし昭平親王は兄弟のなかで唯一臣籍降下した後、様々な思惑が絡み合い、親王宣下によって皇籍に復帰したという身だった。ちなみに、母親は右大臣・藤原師輔の8男、藤原高光の娘である。 父の不遇の人生が背景にあったのか……その経緯や時期は判然としないが、彼女は後に藤原道兼の養女になり、やがて公任に嫁ぐことになる。道兼といえば、『光る君へ』ではダークヒーロー的な役割を担った人物だ。 道兼の姉・詮子と公任の姉・遵子はいずれも円融帝に入内していた。そして作中で描かれた通り詮子は跡継ぎである懐仁親王(後の一条天皇)を産んだものの女御という身分のまま過ごすしかなく、一方の遵子は中宮、やがて皇后という身分を勝ち取ったものの男子を産むことは叶わなかった。そんな姉を持つもの同士が「自分の養女を嫁がせる道兼、その養女を妻に迎える公任」という奇妙な縁を結ぶことになったのがおもしろい。 藤原定頼母の和歌は、平安時代後期に白河天皇の命で藤原通俊が撰者となった『後拾遺和歌集』、鎌倉時代後期に伏見上皇の命で京極為兼が撰者となった『玉葉和歌集』に1首ずつ採られている。ただし、史実で紫式部が藤原定頼母のサロンで和歌の師を務めたという記録はない。『源氏物語』はあくまで「ごく一部の友人たちの集まりの中で執筆され始めたと考えられる」という程度だ。 彼女が長徳元年(995年)に産んだ公任の息子・藤原定頼は、やがて道長の息子・頼通や紫式部の娘・大弐三位とも交流していくが、それはまた別の話である。
歴史人編集部