「いつも仏頂面」の名将がまさかの大喜び ONに代えて柴田勲さんを4番にしたら、驚きの一発 プロ野球のレジェンド「名球会」連続インタビュー(32)
プロ野球のレジェンドに現役時代や、その後の活動を語ってもらう連続インタビュー「名球会よもやま話」。第32回は俊足巧打のスイッチヒッターで巨人V9戦士の柴田勲さん。「1番・センター」の印象が強いですが、選手として脂の乗りきった頃の打順変更には苦労されたようです。(共同通信=中西利夫) 「突き指するからノックはやめておけ」とはならない・金本知憲さん プロ野球のレジェンド「名球会」連続インタビュー(31)
▽文字通りの「けがの功名」で生まれたトレードマーク 巨人がピーター・オマリーさん(後の米大リーグ、ドジャースのオーナー)との関係があったので、3年に1回とか(フロリダ州の)ベロビーチ・キャンプに行っていた頃の話です。(プロ6年目の)1967年ですかね、ベロビーチに僕は初めて行った。投手で入団し、肩を壊して打者に転向したので、スライディングも足から滑るワンパターンしかできなかった。向こうの走塁コーチに呼ばれて、ヘッドスライディングを練習してみるかというので、砂場に連れて行かれた。だけど全然駄目で、いきなり両手を擦りむいちゃった。それっきり、コーチは「ああ、分かった。やめとけ。今まで通りやれ」。それで終わった。 ところが、その日はドジャースとナイターの試合があった。練習じゃなくて試合のための遠征です。外野手は4人しかいなかった。それで出なきゃいけないけど、手は擦りむいて痛い。たまたまドジャースのグラウンドの周りにゴルフ場があって、その場しのぎでゴルフの手袋を買おうとした。そしたら外国の男性の手って大きいんですよ。合うのがなくて、どうしようかなと帰りがけに横を見たらレディースコーナーがあった。赤い手袋を両手にはめたら僕にぴったりだった。アメリカにいる間だけだから、まあいいや、試合だけ使おうって。ナイターで赤い手袋なんて目立ったんでしょうね。目立っただけでなく、2本ヒットを打って2盗塁した。
これは縁起がいいというんで、日本に帰ってもしようと思ったんです。当時、日本で手袋をしている人は誰もいない。野球用のはないから、メーカーさんに特注で両手分を作ってもらった。ゴルフ用だから当時は引っ張ると、すぐ破けたりした。初めの頃はバッティングをする時は素手で、塁に出た時だけはめるという感じ。それが良かったのかどうかは分からないけど、赤い手袋をしてファンの人に後押しされたんでしょう。走れ、走れと言われて、70盗塁で盗塁王になった。塁に出たら後ろのポケットから手袋を出してを2年ぐらいやって、面倒くさくなって、打つ時も手袋をするようになった。それから、みんなはめるようになった。今は99・9%、してるんじゃないですか。王貞治さんも長嶋茂雄さんも当時は素手でやってた。手袋は僕と高田繁ぐらいかな。「けがの功名」とか「ひょうたんから駒」とでも言うのか、アメリカで僕が手を擦りむかなければ、手袋をするなんて発想は全くなかった。何が幸いするか分からない。ああいうものは最初の人がいい。二番煎じは駄目ですね。