「いつも仏頂面」の名将がまさかの大喜び ONに代えて柴田勲さんを4番にしたら、驚きの一発 プロ野球のレジェンド「名球会」連続インタビュー(32)
2千安打に近づいてからは代えられる時はあったけど、監督の長嶋さんが2千本をどうしても早く打たせてやろうと。80年8月にヤクルト戦で達成した。でも、その翌日からスタメンが少なくなった。僕は辞めるつもりだったけど、引退することは言ってなかった。そしたら長嶋さんが監督を辞めて(後任の)藤田元司さんが「プレーイングコーチで」と。なぜなら王さんが現役を引退して、ONがいなくなっちゃうから。どうしようかなと思ってたら、川上さんから「それは手伝ってやれよ」と言われた。それじゃ、やらせていただきますって1年間プレーイングコーチをやった。あんまり良いシステムじゃないですね。プレーヤーをしながら選手を教えるなんて、難しいですよ。外野の守備と走塁は全部おまえに任せたと言われた。ただ、コーチの方がやりやすかった。現役にこだわるところはなかった。2千本まではやろうという感じ。名球会ができた78年は、まだ打っていたので通過点かなと思っていたけど、持ち越してしまい、だんだん2千本で終わりかなという尻すぼみになった。
× × × 柴田 勲氏(しばた・いさお)神奈川・法政二高のエースとして甲子園大会を夏春連覇。1962年に巨人入りしたが、投手で0勝2敗と振るわず、2年目から外野手に専念した。65~73年の日本シリーズ9連覇に貢献。盗塁王6度で、通算579盗塁は歴代3位。80年8月にスイッチヒッターで初の2千安打に到達し、名球会入りの条件を満たした。翌81年限りで引退。44年2月8日生まれの79歳。神奈川県出身。