「いつも仏頂面」の名将がまさかの大喜び ONに代えて柴田勲さんを4番にしたら、驚きの一発 プロ野球のレジェンド「名球会」連続インタビュー(32)
▽あんなにうれしそうな川上さんは見たことがない 川上哲治監督は僕の右打席のバッティングを買ってくれていた。70盗塁した翌年に「頼むから右一本に変わってくれないか」と言われて、嫌々右一本になった。でも全然駄目でね。たまにホームランは出るが、打率が落ちる。あれが唯一、失敗だった。(右打者に専念した)3年間は遠回りしたかなと。5番だから盗塁も減った。僕にとっては一番いい時に、あまりヒットを打ってないという感じ。50~70本損したんじゃないかな。 69年に1試合だけ4番を打った。スタメン発表まで分からなかった。川上さんもマネジャーも言ってくれず、掲示板を見て、えーっと思った。4番起用は、なぜかというと阪神の江夏豊に相性が悪いということで、気分転換。江夏が一番いい時期で、長嶋さん、王さんだけじゃなく、チームが江夏に良くなくて、苦肉の策で。ON(王、長嶋)がばりばり健在の時に4番を打ったのは僕だけ。初回に江夏から2ランを打って、4―1で勝った。
甲子園球場から宿舎の旅館へ向かうバスに乗った時の、川上さんの顔をいまだに忘れません。あんなうれしそうな監督さんは見たことがなかった。大体、あんまりうれしそうな顔をしない。ホームランを打っても今のように握手しにいく監督じゃない。それがバスに乗った途端に僕の手を取って「おお、ナイスホームラン」って握手してくれた。自分が一番うれしかったんだと思う。だってONの間に打った人、今まで誰もいないわけです。負けたら何て言われるか分からない。僕が2ランを打って自分の采配が当たったんですから。川上さんにとっては大英断だったのでは。 ▽両打ちだったら交代させられないのに 左はもともと短く持ってピッチャー返しという感覚があったから、ガーンと振るというのは教わっていない。短く持ってちょこんと。左で打率が上がったというわけじゃないけど、スイッチをやっていると代えられたことがなかった。(右打ち時代は)いい右投手が出てくると、たまに代えられたから、そんなんだったらスイッチの方がいいと再転向した。元に戻したいと伝えたら、川上さんに「勝手にやればいいじゃないか」と言われた。「なんだよ、こりゃ」と思った。ただ、戻るといっても3年間は左の練習をやっていない。また一から左をやり直さなければいけない。僕は作った左だから、最初の1、2カ月は違和感があった。途中から慣れてきてスイッチが安定した。