大神いずみ「博多の女、冷蔵庫に明太子がないと落ち着かない!母と故郷に感謝しながら、1つ歳を取る」
大神いずみさんは、元読売巨人軍の元木大介さんの妻であり、2人の球児の母でもある。2人の球児の母として伴走する大神さんが日々の思いを綴る。 【写真】初めて長男・翔大くんを抱っこした元木さん * * * * * * * ◆明太の国(福岡)の女 何を隠そう、わたしは明太の国(福岡)の女だ。 アナウンサーをしていた頃から、どういうわけだか出身地を聞かれて「福岡です」と答えると、 「え?」 と返されることが多い。 なにそれ。どこが福岡人に見えないというのか。どこなら納得してもらえるというのか。 なぜか驚かれるたびに、なんだか寂しいわたしです。 こう見えて、 生まれも育ちも博多たい! (…普段そんな博多弁使ったこともないんだが) 厳密にいうと福岡市と糟屋郡の境目あたり、金印で有名な志賀島の入口に近い住宅地に生まれ育った。 中学生の頃、博多湾と玄界灘を両方望む高台に建つ実家の、2階の小さな窓から遠く海を眺めては、 「いつかあの向こうにいる坂本龍一さんやYMOの近くで仕事がしたい」 と本気で夢見て、自分自身に心から誓いを立てていた。 それがどんな仕事で、何になりたいのかはボンヤリしていたが、 「ここを離れて、絶対東京に行くんだわたし!」(なぜか東京に行くことだけは決まっていた) そう思いながらせっせと旅立ちの日に旗を立て、ピアノを弾いたりバンドを追っかけたり、英語を勉強したりして18歳まで過ごしていた。
◆帰省するようになって気づいた だがしかし。 私の部屋の窓から見えていた景色、実は玄界灘。 東京とは真逆の方向だったのに気づいたのは、まあまあ大人になってからである。 人が聞いたらぷぷぷーっと吹き出すに違いない、今日まで誰にも言えなかった事実。 わたしはあのころ、一体何に向かって必死に夢を描いていたんだろう。あー恥ずかしい。 家を出て帰省するようになって気づいたのだが、実家から海岸まではとととーっと高台から降りてわずか1キロくらいの距離。昔はえらく遠くに感じていたものだ。遊泳禁止区域なこともあって、子どものころ近くの海岸で遊んだことはほとんどない。 それでもそのあたりの浜辺の記憶に、ハングル文字で書かれたお菓子の袋や瓶などが打ち上がっていたのを思い出す。 ちなみに実家では昔、ラジオからいつも韓国語の放送が混じって聞こえていて、これは日本どこでも標準なんだと思いこんでいた。東京に来てラジオから聞こえなくなったので、不思議で仕方なかった。それほど九州から対岸の韓国は、遠いようで近いのだ。 高校を卒業するまで福岡の実家に暮らしていたけれど、東京に出て来て初めて 「福岡はラーメン、もつ鍋、水炊きが有名」だというのを知った。親元にいた頃、家でもつ鍋など出てきたことがないし、どちらかというとラーメンといえば醤油味が好きな家庭だった。 それでもマルタイの棒ラーメンはどこの家庭でも常備食で、東京の家庭ではそれが一般的でないことに、不思議を通り越して心配だった。 棒ラーメンなくて、土曜日のお昼はどうするとよ!!? もつ鍋、水炊きなどは大人になってから両親に連れて行ってもらったのだが、 「こぉんなに美味しいものがあるとか、なんで知らんやったとかいな…何で誰も教えてくれんかったとーっ??」 (とーっ、とっとっとっとー、と夫と息子たちがからかうのを、どうにかしてほしい)。
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