慶大野球部に医学部1年生が入部 「戦前にいた」証言も極めて異例…「神宮でプレーしたい」現役合格で挑戦
東京六大学野球リーグの慶大に、医学部1年生の長又隆智(りゅうと)内野手(桐蔭学園中教校)が入部し、神宮デビューを目指して日々、奮闘中だ。1888年創部の三田ベースボール倶楽部をルーツとし、大学最古の歴史を誇る野球部の中でも、医学生の入部は極めて異例。まずは来年のフレッシュリーグ(新人戦)出場を目指して牙を研ぐ。(取材・構成=加藤 弘士) 【写真】日本代表から医師の道にトライ中のレジェンド選手 ノックではガッツあふれる表情で、白球を追う。打撃練習では一心不乱にスイングを繰り返す。長又は、創部136年の歴史を誇る慶大野球部でも、極めて珍しい存在だ。医学部在籍の1年生。現在は横浜市内の日吉キャンパスと近隣の野球部グラウンドを行き来し、文武両道に突き進む。 「守備も打撃もまだまだですが、充実した施設でいい練習をして、量と質の両方を追い求めていきたい」 小学受験で桐蔭学園小に入学。その後、中高一貫の桐蔭学園中教校で学んだ。小中高と学業は学年トップクラス。医師を志す一方、野球に夢中になった。幼稚園年中から軟式を始め、中学は横浜緑シニアで内野手として硬式をプレー。高校には硬式がなく、軟式をやり切った。「元々、甲子園より東京六大学に魅力を感じていて。六大学で野球をやりつつ医学部となると、東大と慶大しかなくて」。1日10時間の猛勉強を経て、東大は不合格だったが、私学最難関の慶大医学部に現役合格。4月には堀井哲也監督(62)に入部の意思を伝えた。 堀井監督は「医学部は人命を扱う。しっかりした基礎教育が大事になる」と本気度を確かめた。長又に2か月間、慶応高での練習を指示。話し合いを重ね、熱意は伝わり、6月に合流を果たした。 慶大野球部の生き字引である福田修也氏(慶応高軟式野球部監督)は「昔、OBの方から『医学部の選手が戦前にいた』という話を聞いたことがあります」と証言する。東京・信濃町にキャンパスがある慶大医学部には独自の硬式野球部が活動しているが、長又は「神宮でプレーしたい」と強いこだわりを貫いた。 将来的には整形外科の道に興味があるという。2年からは学びの場が信濃町に移り、春休みからは解剖実習が始まる。医学部は6年制だが、野球部は4年間。「最大限の努力をして、神宮の舞台に立てるよう頑張ります」。バットとメスの“二刀流”を目指す。 ◆医学部と野球 22年ソフトバンク育成7位の京大・水口創太投手はNPB史上初の医学部出身となったが、理学療法士などを育成する人間健康科学科出身。広島や南海でプレーしたゲイル・ホプキンス内野手は日本通算3年で69発を放ち、引退後は米国で医大に再入学。整形外科医となった。ウエスタンのくふうハヤテには群馬大医学部卒で3月に医師国家試験に合格した竹内奎人投手(25)が在籍する。東大野球部では過去、医学部の選手がプレーしている。 長又 隆智(ながまた・りゅうと) ▽生まれ 2005年12月24日、横浜市生まれ ▽サイズ 168センチ、73キロ。右投左打 ▽球歴 幼稚園の年中から野球を始め、桐蔭学園小1年からは青葉スターズでプレー。4年から調布ファイターズ。中学時代は横浜緑シニアで三塁手。高校時代は軟式野球部 ▽清原にいじられる 白い練習用ユニホームに油性ペンで「長又」と書いて鍛錬に励んでいたところ、清原正吾ら4年生の主力には「長文」と読めたそうで、「チョウブン」といじられる。「うれしかったです」 ▽熱狂的G党 幼少期から東京Dの右翼席で応援歌を歌う。「ファンクラブ会員で、年に何度も応援に行ってました」 ▽憧れの選手 巨人・坂本勇人
報知新聞社