”黄色のおじさん”の市長選 720万円失うも「三度目の正直」目指した、76歳の14日間
■選挙戦ラストスパート、「手ごたえなし」
投開票日を2日後に控えた22日、太田さんは地下鉄「名古屋港」駅で降り、徒歩で北上しながら演説をしていった。 のぼり旗の「太田」の字は初日に比べてフチが書き足されていた。 「通りがかりのおばさんに『字が細くて見えん』とアドバイスをもらったから書き足したんだよ。見えないと意味がないよな。でも、期間中、握手を求められたのは1人か2人。手ごたえはないな」。連日の演説で、この日は少し声がかすれがちだった。 今回の選挙、徒歩での移動が多かったことで改めて見えたこともある。 「名古屋も中心地以外は元気がない地域がいっぱいあると思うな。こういったことが選挙の争点にならなきゃ」。シャッターが降りた店が並ぶ通りを歩きながら言った。
■迎えた投開票日
運命の11月24日、河村前市長の後継、広沢一郎さんが39万2519票を得て勝利した。太田さんは7人中の上から5番目、8178票だった。得票率は1.1%で、供託金は今回も没収された。 翌朝、自宅にいた太田さんに話を聞いた。 「きのう夜のテレビで結果を知った。落選はショック。それでも、8千人もの人たちが投票所で俺の名前を書いてくれたのはありがたいこと」と受け止めていた。次の市長選への意欲については「今度、選挙があるときはもう80歳だろう。どうするか今はわからない」と語った。 太田さんの14日間は終わったが、「これからも議会や市の動きはチェックしていくよ」 自宅ではズボンも黄色。”黄色のおじさん”の活動は今後も続いていく。
■負けても立候補する「意義」
数々の選挙に出馬したマック赤坂さんを長年取材し、開高健ノンフィクション賞の受賞経験もあるフリーライター・畠山理仁さんもこれまでに太田さんを取材。太田さんの活動を次のように評している。 「太田さんは日ごろの自身の活動の成果を選挙を通じて確認し、有権者から投じられた票を自身の活動への賛意と受け取っている。有権者の太田さんへの票は単なる『死票』ではなく、選挙後の太田さんの活動を後押しし、議員や行政関係者に存在感を示している。太田さんが繰り返し立候補することには、少しずつでも社会を変えていく意義があると言える」 (メ~テレ クロスメディア部 水野健太)