女友達との関係性を考える。敬語のまま、近づきすぎないのが心地よい。人間関係は牛歩のペースで
◆お礼が自然に 「この3人が馴れ合うのではなく、敬語を使っていることがいいんですよね。あと気がつくと、普通の友達よりもお礼を言い合っている回数が多いんです」 私の発言に2人は「ああ~」と納得の声を上げた。 仲良きことは美しきことではあるけれど、時には負担だ。だんだん互いのキャラクターがわかってくると、グループ内での役割分担が自然と決まっていく。ちなみに私の場合、数人のグループでいると、たいがい幹事を任される。雑誌の編集部員だった経験があると、香盤表(スケジュール)を作るのも、大人数を動かすのはお手のもの。特に意識はしないでその役を遂行していた。 が、30代後半になってそれが苦痛だと気づく。仕事なら原稿料をもらって動くが、プライベートまでは疲れる。そんなわけで40代からは、幹事役への進取を撤退。ただ私がしなくてもグループはちゃんと動いている。動かなければ、それまでの関係だったと言うことだ。ただこの3人に関しては、まだ付き合いも浅いし、私からお誘いをした。その都度、 「セッテイング、ありがとうございます」 お礼を言われる。久々に飲み会のシチュエーションで聞く、幹事への労いに一言。聞いた瞬間、なんだか胸がスッとしたのを覚えている。 「次回は私が店を探しますね」 自然と幹事を順番にしてくれるのも、今まであまりなかったと思い出す。いや、私は他のメンバーの仕切りがうまく進んでいないのを見ると、自分から手を出す節もあった。結局、自分で自分の首を絞めていたのかもしれないと、この関係性を眺めながら感じた。仕切り屋ってヤツはもう。
◆人間関係は牛歩で進め 「飲んだらスッキリしました! また会いましょうね」 飲兵衛の3人はいつも赤ら顔、もしくは千鳥足で解散。互いのことを「友達」と称するのも遠慮があったし、出会ってから一気に関係性が進んだわけではない。今でも互いに踏み込むことのない、絶妙な距離感がある。 その距離感を寂しさだと捉える人もいると思うが、大人の友情にはそういうものが必要だと、おばさんになってからよく思うようになった。年を重ねて感じたのは、他人との接近には多くの体力を消費する。疲れる。普段の生活で使っていく体力の担保を考慮すると、人間関係にあまり多くの体力は消耗したくない。大人の友情を縮めるのは、牛歩ペースで十分だ。 こんなことばかりを並べていると、上品な関係性を想像されそうだけど、そんなことはない。 「あー、もう会社辞めてやる。上も下も言うこと聞かねえし!」 「もっといい文章を書いて、売れたいな、チックショー」 「明日からクソババア(義母)と一緒なんですよ……」 など、酔いに任せておばさんの愚痴はちゃんと登場する。でも最後の壁を崩さないように、敬語に戻るような感覚だろうか。時には盾に、時には淑女らしくと、何かと汎用性に富んでいる。既存の関係に突然の敬語使いは、ヒビ割れを起こしそう。もしこれから関係性を築く機会があったら、ゆる敬語友達も試す価値ありです。
小林久乃