「放射する文化」と「受容する文化」――中国との関係で考える日本文化(下)
『漢書』地理志、『後漢書』東夷伝、『魏志』倭人伝など、中国の歴史書には古くから日本についての記述があります。両国の関係が深かった一つの証しともいえるでしょう。現在の日本の文化は中国抜きに語ることはできません。 建築家で、文化論に関する多数の著書で知られる名古屋工業大学名誉教授・若山滋氏は、両国の文化の深い関係を認める一方で、大きな違いも感じているようです。中国文化と日本文化について、若山氏が独自の「文化力学」的な視点から論じます。
長いつきあい
G20大阪サミットにおける首脳会談で、日本と中国は「永遠の隣国」とされた。たしかに日本にとってそのつきあいの長さはアメリカの比ではない。かつての日本は中国から文字をはじめ多くの文明を受け取り、その後も常に中国との関係(反発も含め)において文化を培ってきた。 そして、19世紀以後、日本は近代文明を西欧から「受容」し、その文化に近づこうとしてきたが、現在「一帯一路」を掲げる中国は、むしろ近代化した中国文化を世界に「放射」する勢いであり、そこに大きな違いが見られる。ここで二つの文化の相互関係をふりかえり、その性格を再考することによって、現在の日本文化の立ち位置を検討しておきたい。 どうやら中国は「放射する文化」であり、日本は「受容する文化」であるようだ。
中国文化の風土的位置づけ
建築様式の分布から考察すると、16世紀に至るまで、人類の文明の発達は、ユーラシアの東西にわたる細い帯状の地域「ユーラシアの帯」に限られており、西と東に様式分布の中心域があることはこれまでにも書いてきた。 西の中心域は地中海の周辺地域である。メソポタミアとエジプトを淵源(えんげん)とし、ギリシャ、ローマへと発展し、インド文化もペルシャ(イラン)文化も巻き込んで、イスラム世界に継承され、近代西欧文化へとつながった「大きな文化圏」で、石造宗教建築とアルファベットを基本とする。その異文化葛藤によるダイナミズムが、人類の普遍的な文明の流れ(メインストリーム)を形成した。自然科学とは、異なる文化を結ぶ真理認識の共通言語であった。 これに対して東の中心域は、木造宗教建築と漢字を基本とする、比較的「小さな文化圏」である。朝貢と冊封によって周辺異文化との摩擦を避けて安定を保ち、動乱はあっても、文化的本質と中心はあまり変化しないスタティック(静的)な文明であった。 もちろん中国はこの漢字文化圏の中心であり、東は東シナ海、南は南シナ海、西はヒマラヤ山脈とそれにつづく砂漠、そして北は「長城という壁」で囲まれた「中の国」であり、常にその外側からの侵略を受けてきた。風土的にも、内側からは文明を放射するが、外側から文明を受け入れるということのない、いわば「放射する文化」なのだ。「東夷・西戎・南蛮・北狄」という言葉には、まさにその文明が「囲いの中」にあるという意識が表れている。西洋文明に対しても、日本人は「日本文化」を主張するが、中国人は「東洋文明」を主張する傾向にある。