沈みゆく島の人たちは「先進国を“許している”」。PwCから一転、バリ島のホテルから気候変動に声を上げる日本人
先進国を“許す”、沈みゆく島の人々
大学院卒業後は、国連開発計画から内々定をもらい、世界で一番最初に海底に沈むといわれるツバルを含む太平洋諸国3国の気候変動支援を担うことがほぼ決まった。やっと念願の仕事に就ける。希望に胸を膨らませていたその時、日本が大きく揺れた。2011年3月11日、東日本大震災が発生したのだ。一時帰国中だった濱川は、都内で最大震度5強の揺れを感じた。すぐにテレビをつけると、東北を大津波が襲う悲惨な状況が目に飛び込んできた。 「あの状況を見た時に、自分の国を差し置いて『今、他の国に行こう』とはとても思えなくて」 国連開発計画への就職を見送った濱川は迷わず東北に入り、2011年の年末までボランティアとして活動を続けた。その後は、日本とツバルで気候変動対策を行うNGOで活動を開始した。首都から27時間もの間船に乗りやっとたどり着いた島で、島民1600人に気候変動の影響についてインタビューを行う職務に就いた。 ある高齢の女性にインタビューをしたときのことが、濱川は今でも忘れられない。 「先進国の人はツバルのような小さな島のことは知らないかもしれない。でも、海に沈んでなくなってしまう島があることを知ってほしい。きっと私もいずれはこの島と一緒に溺れてしまう。」と訴える声に、さぞ先進国の人を恨んでいるだろうと思いきや、彼女は思いもかけない言葉を続けた。 「先進国が気候変動の原因を作ったことも、仕方のないこと。きっと、『子どもにいいものを食べさせてあげたい』『子どもを学校に行かせてあげたい』と願った先進国の親が、発展のために懸命に働いた結果なのでしょう。今の状況は親が子を思った結果なのだから、私は先進国の人を責められないわ」 濱川は、この時のインタビューを思い出すと今でも声が震える。 「彼女のインタビューをした時に、心の底から申し訳なく思いました。先進国の発展のために、私たちが知らないところで大きな犠牲を受けている人がいる。しかもその人たちは私たちを許している。 先進国の発展のために誰かが犠牲になることを直視してこなかった結果、人類は自分の首を絞めているんです。『こんな不条理が起こるシステムを、これ以上続けてはいけない』と強く思いました」