島崎今日子「富岡多惠子の革命」【2】白い教会の結婚式
◆ミニスカートのウェディングドレス 富岡のベールとレースのミニスカートのウェディングドレスは、友人でもあった行きつけの洋装店、「モードサロン・ラモ」のデザイナー植村澄子からのプレゼントだった。菅も、富岡について渋谷・東急百貨店前のビルにあったサロンに通ったものだ。 「もともと白石かずこさんが気に入っていた店で、当時、多惠子さんも服は植村さんのところで作っていました。僕もそこに行くのが好きだったから、ウェディングドレスを作るときもついて行きましたよ」 桂由美がはじめてブライダルショーを開いたのは65年で、66年からミニスカートブームが始まり、ツイッギーの来日でその人気が爆発したのは67年。富岡も、男たちの顰蹙を尻目に、持っていたスカートの丈をどんどん短くしていったとか。あのころ、イギリスのロックスターの結婚式で花嫁がミニの白いドレスを身につけていたが、身長163センチの痩躯でまっすぐな脚の持ち主には、それがよく似合った。最新流行のドレスも、デザイナーが手配してくれた「白い教会での結婚式」も、自称ミーハーな詩人は言われるままに受け入れたのである。 菅の腕をとり、白い薔薇のブーケを手にしてバージンロードを歩く富岡が写真に写っていた。菅の弟の家から見つかった一葉だ。 「結婚式の写真を見るといろいろなことを思い出しますが、多惠子さん、可愛らしいですね。今でも、彼女と結婚できた自分の幸運が信じられないくらいです」 このとき新夫が身につけた青いスーツは銀座のデパートで、金の結婚指輪は新宿紀伊國屋屋書店のビルにあった店で購入したものではないかという。64年に竣工した新宿紀伊國屋本店には喫茶店や甘味店や寿司屋などの飲食店の他に、化粧品店や靴屋などがテナントとして入っており、1階にアクセサリーショップがあったのだ。当時の若者文化の中心地、新宿は富岡にも菅にも馴染んだ街だった。 菅はふたりで結婚指輪を買いに行ったことを覚えているものの、記憶は錯綜する。 「指輪も、銀座のデパートで買ったのかもしれませんね‥‥。普通、結婚指輪はデパートで買うものですから。どちらにしろ、スーツも指輪も多惠子さんに買ってもらいました。結婚指輪なんて、僕はどんなものを買えばいいのか、正直わかりませんでしたが、彼女が『こんなものでいいんじゃない?』と言うので、決めました。しいて言えば、シンプルさがよかったのですね。物事はすべて彼女の指示で、僕は自分の無知さにぐうの音も出ない有様でした。教会でそれぞれの指輪を指にはめたとき、映画で見たとおりだなと思いながら、これは一生とらなくていいのかとジッと見たものです。やはり、結婚には指輪が必要ですね。時々見てはふーんと意味もなく納得することもあり、指輪の向こうに多惠子さんがいると思うと、しっかりしなければと思ったものです。 そのときの指輪がまだ僕の指にあります。手を洗うときも、制作するときもつけたままですよ。彼女もつけていたと思いますよ。亡くなったときにとった覚えはないので、そのまま一緒に燃えてしまったのでしょうか。それでよかったと思います」 結婚式からひと月後の69年7月、富岡と菅は若林角栄高層住宅を出て、杉並区荻窪の小さなマンションに引っ越した。 ※次回は25年1月1日に公開予定です。 (バナー画提供:神奈川近代文学館)
島崎今日子