島崎今日子「富岡多惠子の革命」【2】白い教会の結婚式
◆アトリエがある特注の78平米 当時の富岡は、駆け落ちして8年をともに暮らした版画家の池田満寿夫と別れて半年足らずだった。画壇の寵児だった池田満寿夫と、詩壇のスターだった富岡多惠子のカップルは、サルトル&ボーヴォワール、ジョン&ヨーコではないが、才能あふれるふたりが触発しあって対等な関係を結んでいるように見え、また当人たちもそう自認し、公言していたこともあって、時代を映した理想のカップルだった。富岡は池田の「ミューズ」と呼ばれた。それが池田に新しい恋人、ニューヨーク生まれの画家、リラン・ジーが登場したことにより、破局を迎えたのだ。 現在、菅が転がりこんだ部屋には、日本の雑誌文化を牽引したアートディレクター堀内誠一の長女、堀内花子が母と暮らしている。花子は、翻訳家で作家の矢川澄子から「富岡さんが手放したがっている」と話がきたとき、矢川と母と共にその部屋を見に行っていた。矢川が澁澤龍彦と別れて間もないころで、堀内誠一がディレクションしたファッション誌「an・an」創刊前夜のことである。 何度も改装を重ねたという角部屋を見せてもらった。当初はコンパクトなシステムキッチン、トイレと一緒になったバスルームを真ん中に挟んで、北と南に2部屋ずつあった。そう、花子が少女のころの記憶をたどって教えてくれる。 「合田さんは富岡さんに誘われてこのマンションを購入されたと聞いていますが、あのころ、周辺に高い建物なんていっさいなくて、11階建てでもとても高かったんじゃないでしょうか。私たちは69年に引っ越してきましたが、テレビ関係の方とかが住んでいました。L字形のベランダがあり、室内は78平米あります。富岡さんが池田満寿夫さんと暮らすことを前提に準備された部屋は、北側の部屋が池田さんが使う輪転機の重みに耐える床張りでした。3戸分を1軒にして、アトリエとして使えるように特注されたとか。そのとき私は9つくらいでしたけど、日本家屋しか見たことがなかったので、新築の高層ビルのなかの一室であったことや、部屋いっぱいの大きなベッドにびっくりしました。お会いした富岡さんは、男か女かそんなことどちらでもいいといったワイルドさで、カッコよかったですね。私たちは富岡さんが置いていかれたソファセットとかスツールとか食卓とかをしばらく使っていたと思います」 『青春絶望音頭』には、富岡が9つ年下の若い男からのプロポーズに戸惑い、合田や親友だった詩人の白石かずこと思われる女ともだちに片っ端から電話して相談した様子が綴られている。女友だちはみな、「結婚しろ」と口を揃えた。そして、〈ひとりならこれからシゴトして食べていけるのに、若い男とケッコンしたら食われちまいますよと、注意してくれたわけ識りのひともいたが、わたしはそういう親切を五年くらいは棚の上にのせておこうと思った〉と、結婚を決めるのだ。