彬子女王殿下に、日本美術コレクターのジョー・プライス氏が伝えた「日本人が忘れてはならないこと」
「目の前に繰り広げられる不思議」に魅入られていく
夕暮れどき。目の前にあるのは『平家物語』の合戦の様子が描かれた屛風。窓から差し込んだ赤い陽の光が作品を鮮やかに染め上げる。陽が落ちていくにしたがって、表情の変化はスピードを増す。屛風に映り込む影から、雲の動きや風の速さもわかる。 合戦の様子がスポットライトを浴びたように浮かび上がり、描かれている人びとの表情が変わり、金色の雲がきらきらと輝く。その場にいた皆がいつの間にか声を潜め、目の前に繰り広げられる不思議に魅入られていった。 やがて夕日が落ち、部屋が暗くなる。しばしぼんやりとしていた私にジョーさんがいう。 「さあ、今日のショーはおしまい。ご飯を食べよう。今日は僕の大好きな寿司だよ」 このときの合戦図屛風の美しさはいまも目に焼き付いている。なるほど、江戸時代の人たちはこうして絵画を楽しんでいたのだ。現代の日本人が気にしていない、でも忘れてはならないとても大切なことをアメリカ人のジョーさんが教えてくれた。 ジョーさんは私にしてくださったのと同じように、江戸時代以前の美術を自然光のなかでみることの大切さを、この何十年も日本人に訴えつづけている。紫外線などで作品が傷むという観点から、日本の美術館や博物館で、自然光で日本の絵画をみる機会はない。 唯一、プライス・コレクション展では、プライスさんの意向により、照明の角度を調節し、明るさを変化させることで、自然光で作品をみるのと似た状況をつくり出すという試みが行われた。 光の変化で表情を変える作品を食い入るようにみつめる観客の様子をみて、プライスさんは自分の考えが間違っていなかったことを確信したという。 私も自分の身に覚えがないわけではないが、日本美術研究者は初めての作品に出合うと真っ先に落款や印章を確認し、真贋の判断をしてしまいがちである。 そんなわれわれをみて、ジョーさんはいう。 「どうしてそんなに作者の名前を気にするんだ。目の前にこんなに素晴らしい作品があるのに。作者に失礼だ」 たしかに、そのとおりなのだ。そんな日本美術の当たり前を私に教えてくれたのは、ジョー・プライス氏だった。